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書くにあたっての二人の師

 


以前ここのブログでカミングアウトしたことなんですが、
こんな無学無教養の私が、どこでどう間違ったのか、底辺高校在学時に
あの凄まじい環境下では絶対の絶対に縁に触れることの無いであろう
活字だけの読み物(小説)にのめり込んでいたという、松戸M高校としては
前代未聞、未来永劫に無いであろう、ふざけた生徒だったという珍過去を
明かしたことがあります。

あの頃まわりを見回せば 駅で 『フンガ〜〜ッ!!』 と雄叫び上げてた奴、
”えいきゅう不滅”を ”A級不滅”と書き、”平和” の読みはもちろん”ピンフ”
How old are you? との問いに胸を張って I’m fine thank you!! 

こんな破壊力抜群のバカ達が豊富にひしめいてた松戸の魔窟、M高校、、、、
そんな愉快なバカ達の熾烈な最下位争いに必ず絡んでたドーベルマンバカが
当時の私でした、、、   
       
そんなバカの黒帯が家に帰るやいなや机に向かい、
隠れるように背中を丸め、親指舐め舐めページをめくり、
夢中で読んだ三島や谷崎、太宰、漱石、有三、、、
主義も主題も文脈も、作風選びさえまるで一貫性が無く、
ただただ近代文学という響きだけで味噌も糞も分からず
貪り読んでいた、こっ恥ずかしいあの時代



ところで、なにゆえそんなバカが活字だけの書物などを読むようになり、
今では直木賞作家のサイン会へ嬉々として参加するおっさんになって
しまったのか、、
最近たいしたブログネタも無いことだし、いっそのこと、どういう展開を経て
そこへ行き着いたのか、いったい誰がそんなこと教えたのか、
つまり、そこに至った根本原因といえる ”どこでどうしたから、こうなった” 
そのルーツをたぐり寄せ明らかにし、今回記事にしてみよう考えたんです、、 

これ早い話、理系の人が好む直接的原因探し、何に端を発したかの
追究、発表みたいなもんです、、


まあ、そんなことを思いついたのは、先月の浅田次郎サイン会の帰りに
なんですが、帰宅後その内容ををサイン会記事と付せて書こうと考えるも、
なにせフニャフニャに酔っぱらっちゃってて何が何だかさっぱり分からず
書けずじまいでしたが今日は飲んでいませんので、しっかり書けそうです。
こういうのは記憶の冴えている日中じゃないと指が止まっちゃうんです、、

よって、さきほど神妙に高1、中三、中二、、
しっかりと時計を巻き戻してみました、 すると、よ〜く思い返してみると
その出発点がなんとなく分かってきました、、、
そしてそこには、両手を腰に当て仁王立ちする一人の大人の姿が
ぼんやりと浮かんできたんです、、

それは底辺高校2年生の春、、 そこからさかのぼること5年前、
つまりは小学校6年生の頃まで昔に戻るんですが
どうやらそこが出発点のようでした。

ところが思い出してみると、今回は結構人気のある底辺ネタなんですが
あまり馬鹿っ話にもっていけないようです、、、
なぜならこんな私みたいな、おちこぼれをなんとか引っ張り上げよう
知恵を絞り心を砕いてくれた先生の話になるからです、、





でもまあ、そんなこともふまえて、どんな理由あって底辺文学珍生徒に
なっていったのか、つまらんおっさんの昔話ですか暇つぶしにでも
読んでください、  今日は調子が良いので一気に書けそうです。

    じゃあ、とりあえずその話にでも入りましょうか、




まずはその頃、小6の頃の説明からですが、恥ずかしい話当時の私は
これ、どうにもこうにも落ち着きのないお調子者だったんです、、
お調子者と文学底辺高校生が何の繋がりあるの? と、
お思いでしょうが、実はそこには、悪ガキがおとなしい子になるよう
私の性格に合うよう考え工夫したその先生の極端ともいえる
教育方法があったんです。
そしてその指導がきっかけとなり、5年後、幸か不幸か珍妙極まる、
おかしな高校生へと変貌していくんです、、




あぁ、その存在、方法を明かすのでしたら順番的には、まずは
私の腹の中にある考えを明かすことから始めなければなりません、、

ちょっと堅い話になりますが、、、

常々自分は世の中の実相というものは善になろうが悪に向かおうが、
社会も個人も全の基底根幹、土台にあるもの、  すなわち世の中を
司っているものの一切の出発点は教育だと思っています。
学も教養も無い私が言うのも、いささか説得力に欠ける発言ですが、
全く揺るぎない持論なんです。
これは机上の学問以外でも、物事の考え方、捉え方、最善の方向に
持っていく方法論、手段、、、   
各々その根本にはどれだけ多くを学んできたか、どれだけ真剣に
学んできたかで成果も結果も影響も報酬も行き着く先も
全てにおいて変わってくる主因が教育だという意味です。

説明すると、物事とはいかなる結果結論が出ようと、必ずやその
出たものに準ずる原因があるもんです、
皆さんも知っているまあ、よくいう因果の法則です。
今起こってる物事や取り巻く環境の原因を知りたければ過去へ
さかのぼり、未来を知りたければ今やっている事を見ればいい、
社会でも個人でも良き原因こそが良き未来への形成材料へとなる
というわけです。 ならば、異論反論あるとおもいますが、私の
48年に及ぶ経験から断ずるなら、

運や能力や環境なんてものは学ぶ事を拒んだ者の言い訳なんです、

世の中とは私達人間が主体となり成り立っている共同体です
ならば正しく良きものをキチンと認識した上で、道徳や習慣や
考え方などを教え込み実践させ、時に自ら学ばせる、、、
すなわち良き教育という行為自体が道理に適った良識を生み出す
種子であり、それが良識ある人材を育て、その人材達が良き社会を
形作っていく、、、
これ、当然すぎる筋道なんんです、 人が支える社会なら、支える人の
資質を高めれば社会の倫理も文化も高まるわけで、
そうしたいのであれば教育を充実させるべきなんです。
もちろん個人個人変えていくのもしかり、各々性分や気質をよくよく
分析し、個別的教育内容の強化強制次第によっては人の内面すら
変えていけるもんなんです。
そうするなら教育次第によっては過去の私のようなお調子者でも
地蔵やこけしのような、おとなしい文学底辺高校生に変わって
いくんです。  これはそう変わっていった生き証人の言葉ですんで
こんどは説得力ありますよ、、


上記の教育についての持論なんですが、理系脳の理想まみれ暴論かも
しれませんが少なくとも私は正論寄りと確信します、、



まあ、熱弁ふるっても賢い皆さんなら、そんなこたぁ分かってるわ、の声が
聞こえてきそうなので教育の重要性はほどほどにしておいてと、、、、

それよりも、いったいどのくらい私がお調子者だったのかをまずは
説明しないといけません、そしてどのような方法でそのお調子者が
地蔵やこけしになったのか、、、
もちろんその手段も明かさなければ上記の持論を納得させられません、、

その小6時時代の私が、どんな子供だったのかなんですが、、
現在使われている言葉で表現するなら、ズバリ、アスペルガー偏差値70、
お調子者と言うよりどちらかというと落ち着きのないキョロキョロバカ、、、 
こう言ったほうがピッタリだと思います、
具体的には、いつも何か面白い事はないかと四六時中、蝿のように
キョロキョロ周囲を見廻し、見つけるやいなや、その中心となり
悪ふざけの先導役をかってでる70年代番組の ”あばれはっちゃく” 
の暴れない版みたいなもんす、、、、
おかげで毎日担任の先生からは首が240度位回るビンタを喰らうのが
日課でした、、   
睨みが効く、、との理由で席は中央最前列、(席替え参加も許されず)
発言は手を上げ許可をとってから、、、  給食の大鍋は接触禁止、、、 
これは大量の消しゴムカスをコネて丸め、肉だんご色に色付けして鍋に
放り込んだ悪事がバレて、炎を噴くような猛ビンタをもらった後からの
決まり事だった憶えがあります、、、、、、
しかし、同級生からはそんな怒涛の馬鹿キャラクターゆえ好意的な
扱いを受け、自分で書くのもなんなんですが結構な人気者でした。
その反面、先生達にとってそんな騒がしいバカは悩みの種だったん
でしょう、そのため、あまりの行儀の悪さに手を焼いた当時の担任が、
なんとかこいつを静かに机で落ち着かせる方法は無いものかと日夜
頭をひねりまくったんだとおもうんです、、

そして先生が出した結論(教育方法)というのが日記だったんですよ、 

        それも授業中に書けと、、


『どんな内容でもいい、題名を決めて、それを帳面1ページ書き終える
までは、たとえ夜になっても帰さん!! わかったか!!  
おまえの母ちゃんにもよく言っとくからな!!        
            ちなみに夜の教室は怖ぇ〜ぞ!』

そんなことを言われ、”ほれ!” と言葉と共にノートを放り投げられたんです、

平成の今では絶対にありえない、恐怖と強制のコラボともいえる極端極まる
パワハラ課題です、、



その頃、楳図かずおの ”漂流教室” なるマンガの影響もあり薄暗い教室に
一人だけ残るというのは発狂モノの恐ろしさです、 だからでしょうか、
居残りさせられるかもしれないとの恐怖から生まれるエネルギーとはスゴイ
もので、それから逃れようとする一念は鉛筆をもなめらかに走らせました。
幸いにもバカはバカでも馬鹿正直だったので、もう必死に書きました、
何を書いたかは覚えていませんが、それは、ただただ文字を並べただけの
拙い駄文だったはずです。  
たぶん馬場だのブッチャーだの地獄突きだの、、、、
           きっとそんな内容だったんでしょう、、、

そして毎日下校時にその日書いたものを提出し、翌朝出欠をとった後
そのノートを渡されるという決まりで、朝、手渡された日記を開いてみると
毎回そこには前日私の綴ったトンチンカンな文章の書き替えや
誤字脱字の修正、平仮名から漢字への変換、主語から述語への矢印等が
びっしりと赤ペンでこと細かに加筆されていました、、、

小学生の私にとって、その手直しされた文章形態とは以後、模倣を強いられ、
修正された漢字は多用を義務付けられたよう、従うことしか許されぬ
上官命令にも似た重みのある加筆添削であり、それこそ主語と述語が
はっきりしない文章でも書こうもんなら、またまた240度ビンタをお見舞い
されるんじゃないかと思うほど熱さ伝わる赤い文字列でした、

けれど不思議なもんで、最初はイヤでイヤで苦痛そのものの作業でしたが
そのうち先生の加筆修正のおかげでしょうか、それとも毎日怠らず素直に
書き続けた成果でしょうか、3カ月もすると次第に自分の思いや物事を
うまく文字に表現できるようになってきたんです、
するとこれおもしろいもんで、小学生ながら多彩な表記や正しい漢字を
使い分けられるようになり、いつしか日記がなんの苦も無く書きはじめられ、
自主的に机に向かうようになるまでに、たいして時間はかかりませんでした、、


そんな日記の提出が卒業式の前日まで続いたんです。
日数から勘定すればそれはノート2冊にはなってたはずです、

今では不幸にもその貴重な日記は紛失してしまいましたが、日記を書く
習慣は残りました。事実、それから書いた日記は大学ノート8冊に及び、
ここ龍ケ崎に引越して来た日、運び入れた荷物は、簡素な洋服の箱と
腕に抱えた8冊の日記だけでした、、

そう思うと小学校時代のその強制されながらも書いていた日記経験が
自らの読み書き学習となり、その副産物として得た文章や漢字に対しての
自信が活字を書く事への抵抗を和らげ、こんどはその自分の書いたものを
読み返すという習慣が自分自身に備わる読書力となったに違いありません
その結果、落ち着きの無かったお調子者も、読み書きをするという目的の
ため自ら机に向かい鉛筆を持つようになり、なんとか、おとなしくなるように
との思いを込めた先生の知恵が中学時代を挟んだ5年間、私の体に
しみ込み、涵養され、いつしか自分の机に向かう事が全く苦ではない
高校生に成長していった、、  というわけです、、

付け加えるなら、そんな恥ずかしい37年も前の体験が今なお続く、
読み書きの習慣に繋がっているという自らの現実が、さきほど書いた
教育の重要性を証明するものであると言っていいでしょう。

そしてそれ(教育の重要性)を体現した姿が、まさしく過去の私、
(文学底辺高校生)だった、というわけです。、

それもこれも小6時代に日記を強制された経験が礎になっているんです。
そう心から思っています、、








と、まあここで終わってしまえば、オチも面白みも無い話なんで、
ここからはリアルな内面を吐きましょう、、






ところで皆さん、、ここでおかしな疑問を感じません?
今回はなんだかずいぶんと出来過ぎた話なんじゃないかって、、

どういうことかというと、、、、
大体どうして小学校卒業時に自ら机に向かう習慣がつき、
やればできるということを体得したというのに、なんでまたそんな
底辺高校にしか行けなかったの? とか、
それだけ若い時分に読み書きが苦ではない学習習慣を身に付けた
んだったら、それを十分他の教科に応用できるはずだろう、、? 
とか、そんな疑問を、

もちろん今にしてみればそう思いますし、もっともな疑問です、、、


まあ、それについての答えなんですが、手短に言えば上記太字で
書いたキツイ一行が実は後々の私なんです。
あの文は自分自信に叩きつけた自責の文句であり、
上の疑問に対しての明確な答えでもあるんです。
      まさしく、喉元すぎれば、、、 ってやつでしょう、


   やはり物事は因があって果が成り立つわけです、、



そんなわけだから自己責任という世の鉄板の道理を知るに至った理由
ともいえる厳然と実社会に存在する、学力から学歴に、そして職業へと
つながり形成される絶対に口には出してはいけない世間のカースト、、
つまり、学力でつまずくと職業選択の幅が狭まり、結果、学業の何倍もの
努力をしないことには低賃金肉体労働者への道を突き進むという法則、、、

その仕組みをしっかり理解した17歳の時また日記を書き始めたんです、
その書き始めたきっかけは、 一言で言えば、きっと怖かったんでしょうね、
その社会に厳然と存在するそれが、、
このままだと高校卒業後、いずれ自分も学力や学歴に準じた職業階層に組み込まれてしまうという未来が、、、、

(そんなもの今にしてみれば取るに足らないつまらん悩みだったと赤面の至りですが、

   しかし、、、  やはりこれは紛れもない現実でした、、)

けれど、なぜまたそんなにも怖かった鉄の法則から逃れようとの対応策が
受験勉強ならまだしも、そんな女々しく弱々しい日記なんてショボイもんに
なってしまったかというと、
  ”社会に出たら絶対に読み書きからは逃げられないぞ!” 

この言葉が胸に叩き込まれた錨となっいたからでしょう
いつも口酸っぱく繰り返していた先生のその言葉を思い出し、せめて
人並みの読み書きの心得位は身に着け、日報が書けるあたりの
レベルにはならなければと多少は自分なりの考えもあったんでしょう
(実際は数学も英語も生活態度も全て手遅れ、という現実が先生の言葉を
無理矢理正当化させ、経験済みの日記に逃げたという見方も多少自分の
中にはありますが、、、)
そう思い立った時、日中は底辺高校というエキセントリックな環境下では
あったんですが、幸いにも小説を乱読していた時期と重なっており、自宅は
多くの書物という教材にも囲まれ、大人しく机に向かうようにもなっていたので
次元は全く異なりますが、少6の頃に比べ文章を書くという環境には
とても恵まれていたかもしれません、、
       たたひとつ、、先生がいない事をのぞけば、、、、
、、

そうして5年ぶりに書き始めてみると驚くことに、あの頃先生に教わった
文章体が意識をしなくとも、ペン先から次から次へと流れ出てきたんです、、、
書くほどに、綴るほどに罫線並ぶ白いノートの上、怖かった先生の
癖のあるあの字が、あの声が、あの表情が浮き上がり、蘇り、
それがどんなにも懐かしく切なかったことか、、

切なかった理由は、辛抱しながらでも淡々と続けていたものを辞めてしまい、
それと引き換えに自由を選んでしまった時、溜息と共に漂う、後悔にも似た
あの脱力感を初めて味わったからでしょう、、
それはきっと、先生が私に身に付けてくれた将来の可能性を広げる
尊い学習習慣を卒業を機に自ら放棄してしまった悔恨から生まれ出た感情、
だったに違いありません、、

だからもう遅いとは解かってたけど今度は続けました、、、
専門学校からインターン時代、店員時代を経て店長となり、
そして、店主となった今でも、、




すると、今にしてみれば分かります、先生が卒業ギリギリ迄続けてくれた
細かに加筆添削された日記を通して私に何を教えたかったのか、、

怠けるな、 だらけるな、 無為に過ごすな、やり続けてみろ、
学べば学ぶほど実りある人生になるんだぞ、、
おまえはバカだけど磨けば光るバカなんだ、 だから学び続けろ!!

きっとこんなことを教えたかったんだろうと、
この齢になってみてよく分かるんです、、

駄文なりとも自分の胸の中の思いを文字に表し、起承転結つけ
休まず一気にここまで書けるようになったのがその実証かもしれません、、








私にとって、書くという事で師と呼べる人は二人います、
一人は断じて折れぬと意地と信念を貫き通し、文字で支えてくれた
心の師、浅田次郎
もう一人は教育次第によって人はいくらでも変わっていけるもんなんだと、
それを書き続けるいう継続の力をもって私の体に仕込み、教えてくれた
小学校の恩師、、、
浅田次郎には先月、お礼は言えなかったけど会うことが叶いました。
しかしながら小学校の恩師との再会は難事です、お礼を言いたくても
言えません、、、、


庄司先生、もし、ご存命であり、百万が一以下の確率でしょうがこの記事を
読んで下さっていたら私の真心からの感謝の意をここで述べます、、


先生、ありがとうございました、おかげで静かに机に向かう大人になれました、
そして先生からの課題は老眼鏡をかけるこの歳になった今でも続けています、









| 店長の日本一ためにならない話 | 12:42 | comments(2) | -

浅田次郎との対面

 


”女心と秋の空”  
変わりやすいものの代表的な例えですが、女心はさておき、気まぐれな
秋の空は機嫌が悪いと激烈な雨をぶちまけ、お店を激暇にしてしまう
負の歯車の潤滑油みたいなもので、商売にとって、とても有難くない
秋の風物詩です。
とりわけ午前中の雨は厄介なもんで、御隠居さん達を家に閉じ込めてしまう
性悪効果があるようです、、

そして変わりやすいものを、もうひとつ加えるなら、うちの隣のランドロームの
跡地でしょう、、 大型店舗の小判鮫としては気になるとこです。
まあ、そんなどうでもいいこと考えてるくらいですから、
労働意欲に溢れていてもこりゃ本腰入れて暇ですね、

そんな、のんびりしていた9月のある日、暇潰しに新聞に念入りに目を通して
いると、普段は読まない文芸面の広告に浅田次郎新刊記念サイン会の
広告が載ってるのを見つけたんです、、

蒼穹の昴やシェラザード、鉄道員、、、    
私にとって浅田次郎といえば、雲の上どころか、成層圏まで突き抜けるほど
神のような存在であり、その文才の1%でも私にあれば、こんな駄文も
珠玉のエッセイになることでしょう、

そんな神様に会えるチャンにめぐりあえたんです、広告を目にした瞬間、
歳すがら動悸にも似た暴れる左胸をかばいつつ、
2秒後には受話器を左手に高橋名人ばりに番号速射、
100人までの制限付でしたが、10時ちょうどの電話が幸いしたんでしょう、
すんなり予約が取れたんです。   これは快挙といえましょう、

  ”え?、ってことは浅田次郎に会える、、ってことだよね、、”

近々訪れるであろうその現実を思い浮かべると、嬉しさのあまり
いつしかコブシを固く握って鼻息荒げていました、、 
        その時の気持ちを川柳にするなら

      頭はのぼせ、胸は打ち鳴り、心は富良野の青い空!

こんなとこかな、、いかに浮かれていたかが分かってもらえると思います、
まぁ、それもこれも元をただせば秋の大雨のおかげかもしれません、、


そういう訳で9月の平日、仕事サボってまであの憧れの浅田次郎に
会いに有楽町まで行ってきました、、







その記念の日も雨、、 
それも昼過ぎから雷音をこめての威嚇してるかのような、、

         正面の、鎌形さんとこの整骨院は早くも照明点灯、、
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じゃ、うちも、、、

それよりこれとんでもない雨、、  スタンドの洗車機回ってるような水圧、、

目の前の通りの排水口は水の吸い込みが間に合わないようで、ゴボゴボ
泡立っちゃってる始末、車の通りもナシ、、、

もちろん来店のお客さんも、、  もっとも当店、予約制でなく順番制なので
こんな雨の日に濡れながらでも来る人なんかいないか、、、、
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あ〜あ、暇だぁ、、  掃除もやったし、新聞も読んじゃったし、
ネットオークションは飽きたし、、   花壇いじりは出来ないし、、、、
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                  だめだこりゃ、、、、、
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そこで、、 どうせならと思い、、

『あの〜っ、、、 今日憧れの人に会いにいくんですが、失礼の無いよう
キレイな頭で行きたいんですけど、髪の毛洗ってもらっていいですか、、?』

事業主とはいえ、スタッフがくつろいでいる時間にお願いするのは
低姿勢です、、、

             『はいはい、座って座って!』

                   ホッ、、、、

我が店ながらシャンプー技術は、なかなかのもんだと感じます、
やっぱり、プロに洗ってもらうと気持ちがいい!!
それがいつもタダだと思うと、もっと気持ちがいい!!

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注文は『男前』
こういうアバウトなリクエストが実は一番イヤなんです、
しかしベテランの域に達した小市にとって、そんな注文に対しても、

  『あっ、そ、、』  『文句言わない!』

私に対しては問答無用の対応です、、(注、お客さんにはとっても優しいです)

大ざっぱに乾かした後、髪の根元に熱を入れ少し立ち上げ気味にします、
私は凄い癖毛で、薬剤と熱とで真っすぐに矯正しているので、
どうしてもペッタリしてしまい、これを軽く見せるには
やや立ち上げるのが効果的です。
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ドライヤーでのブローも終わり、スタイリングにはいります、

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         ちょっぴりワックスでも付けますか!
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                 出来上がり!
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ちょっとだけワイルドな感じで、、、
これなら浅田次郎に失礼じゃないな、、

というか、これ限りなく、乾かしてワックス付けただけにおもえるんですけど、、

             ま、いっか、、、 上等上等、、
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サイン会は6時半から、有楽町までですと1時間ちょっと、、
この大雨で電車が遅れていたりしてたら大変なので4時半に出発、
              の、予定、、    

ど〜か、私指名のお客さんが来ませんように、、、、、
両手の指を組んで胸に当て、祈ること30分、、 その間二人の来店、、
そのうち一人は指名のお客さん、、
しかしなんとか切り抜け、いや、切り終わり、時計を見るとちょうど5時、、

『あの〜っ、、 できれば駅まで送っていってもらいたいんですけど、、、』

手の空いている小市にまたまたお願い、、

”わがまま言うな!遊びに行くんだからバスで行け!!”

そう返されることを重々予想したけれど以外にOK、

          よかった、、、



               じゃ、行ってきます!!
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佐貫を定刻どおりに出たので、有楽町にはちょうど6時半には着きそうです。

浅田次郎に会える、浅田次郎に会える、、 ううううぅぅぅ〜〜っつつ!!!

”蒼穹の昴” ”鉄道員” ”壬生義士伝” 最近では ”終わらざる夏” 等、もう
作品全て泣きたいくらいの大作です。内容を書くと読書感想文みたいになって
しまうので、興味のある方、まずは世に出た作品、”地下鉄に乗って” にでも
目を通して下さい、浅田ワールドにのめり込むこと必至です、、

                  上野駅通路
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なんて軽く紹介してますけど、私にとって浅田次郎とは、数ある彼の
作品に触れ心酔し単純勝手に師と仰ぐような軽々しく薄っぺらな
存在ではありません、
彼が持ち続けてきた絶対に小説家になると決めた信念から生まれた
”意地” の次元に感応したのがもともとの始まりで、
文章から伝わるその執念が私の中に沈殿してた負けじ魂を覚醒させ、
決意を曲げなかった強情っ張りっぷりには同じ匂すら感じました。

何よりも信念の遂行というものをけっして忍耐だの根性だの、そんな
重苦しい言葉を使わず多彩な文章表現で面白おかしく和らげては私の
精神世界をいろどりを添えてくれた直木賞以前は小説家というよりは
むしろエッセイストのような存在でした。

その反面、ニートや引きこもりではなく自身で事業を営みつつも
小説家になるために20年間必ず一日6時間を読み書きに費やすと決め、
それを実行し貫き通した執念、、、
その成功していた商売をも捨ててまでも志を貫き、
ここで負けてしまうんだったら、もう死んでもかまわない、と
口に出せるほど長い下積みに裏付けられた強気の姿勢、
そして刻苦勉励の末、ついにつかんだ直木賞、、、

いつも彼を応援していました、、、、

茨城に越してきた年、蒼穹の昴が直木賞の候補にあがった時、
鈴木光司や宮部みゆきら他の候補作を速攻買ってきて熟読、
これなら勝てると確信するも落選、、
その年の直木賞選考委員の受賞基準に疑問を持つも翌年、鉄道員で
受賞が決まった時は嬉しくて嬉しくて、わざわざエビスビールを買ってきて
ニュースステーションの映像で一人祝ったほどです、、
(本当は、蒼穹の昴でダメなんだから今年もダメだな、と思ってました)

今ここで、それほど好きな理由は、と尋ねられたならこう答えるでしょう、
珠玉と評される作品の中身はもとより、
もはやここに至るまでの道のりに対して、つまり人間浅田次郎の道程が
生み出した作品だからこそ好きなんです、

         畏敬の念をもって仰ぎ見るおもいです。

あ、有楽町に着きました、、、
IMG_1634.JPG




サイン会場は丸井の横、交通会館一階の三省堂、
入ってみるとすごい人の数、、
まずは受付カウンターで名前を告げ、予約の確認、確認が済むと本を買い
(もちろん浅田次郎の新刊)、そして予約カードに名前を書き
(その名前を本に揮毫してくれるようです、、)後は係員の指示に従って下さい
とのこと、

            するとここで困ったことが、、

撮影禁止の大きなプラカードを持ったアルバイト達がグルグル店内を
回っていて写真が撮れません、、
たぶんあのオレンジの看板の下にいるはずなんだけど、、、、、
でもこれって盗撮になっちゃうのかな?
遠慮がちに、とっても離れたとこからズームをきかせて一枚、、

IMG_1635.JPG



      『サイン待ちの方は外の階段でお待ちになって下さい!!』

口に当てた拡声器から指示に従うようにとの甲高い声、、
カウンターで買った本をバックに詰め、人だかりの前を通過したその時!



   うう、、、うわあぁぁぁぁあああああ!!



   あっ、あっ、あのハゲ頭、

浅田次郎だぁぁあああ!!!


     興奮のあまり禁止されている撮影、、してしまいました、、、、  
          
                  すいません、、、、
IMG_1636.JPG



いやはや、本物の生浅田次郎を目にし、熊にでも遭遇したかのような驚き、

しかし、よ〜く見てみると聖なる神域内で参拝者がありがたい御神体に
頭を下げお目通りしている様な、そんなムード、、、

別に急がなくてもいいんですが、何故か急げ急げ!       

本に揮毫をしてもらうには外の階段で待たなければいけません、
係員についてその階段に案内されると今度は4列に並んでくれとの指示、
階段見上げるとすごい人数、10列以上はあります、
どうやらここから4人づつ呼ばれ揮毫と握手をしてもらう模様、、
驚いたことに仕事帰りのサラリーマンの方達でしょうか、
浅田二郎サイン会と見るや飛び入りする人の多いこと多いこと、、しかし
係員に事情を説明され皆一様に残念そうな表情をして去っていきました。
       ”へ〜っ、ファンってこんなにいるんだ、、、”
脳内で関心するも並んでいる二人に一人は今しがた買った本をもはや
開き、読み始めてるじゃないですか、、 
       ”こりゃ、俺より熱い奴いっぱいいんな、、”
中には今から浅田次郎に会えるという現実にヒートアップしちゃったんで
しょうか、心を落ち着かせるためか、肩で息をし、瞑想している人もいます。

私はというと、、、   

やはり左胸が騒がしく、心拍数もハネ上がってきてるのが自分でも分かります
日常でこんな多人数の列に並ぶなんてことは、性格上まずありませんが、
こんな楽しい行列並びは何回でも経験したいもんです、、

IMG_1637.JPG




          『お次の4人様、こちらへどうぞ、』


待つこと20分、とうとう私の列が呼ばれました、

  浅田次郎に会えるんだ!  浅田次郎と言葉が交わせるんだ!

もう完璧に舞い上がり、右手と右足が一緒に前へ出てしまうような行進で
歩き進むと、そこには心の師、浅田次郎が二人ほど前の女性に
筆を揮っていました、、
すると、んんん?、、、 机の横には菓子折りやケーキの箱、果物、、 

    くぅ〜〜っ!、こんなことなら茨城の新米持ってくるんだった!!

         そうすれば一言分多く言葉が交わせたのに、、、、


ほどなくして私の番が来ました、

  浅 『こんばんは、、松本、、ん〜っ、”たかまさ” さんですね、、』

  私 『いえ、この ”征” って字、”ゆき” と読むんです、、』

  浅 『ほ〜っ、これで ”ゆき” って読むんだ、、  じゃあ、たかゆきさん、、
            ですね、、、  んん、いい字だ、、』

  私  平静を保ち静かに、 『あ、それはどうも、ありがとうございます、、、』

                    心中
                     ↓↓
親父いぃぃ〜いいい! ありがとぉぉ〜〜おおお!


さらさらと毛筆で私の名前を書いてくれ書き終わるや、右手を差し出して
くれたんです。  
この手から蒼穹の昴や天切り松が生まれたんだと想像すると、それこそ
御神体に触れるような感動です、、

恐る恐る手を握ると、その手はおもいのほか大きく、
そして柔らかい感触でした、、
ほんの短い一瞬でしたが私の視覚に収まったそのシーンは今でも固く瞼に
刻まれています。

          浅田次郎先生、ありがとうございました、、、

一礼をし、晴れ晴れしい気分で、”さ、帰ろうか、、” と思うも、
浅田次郎のいる場所を背を向け、さっさと帰るのもなんかもったいなく、
恥ずかしい話、サイン会が終わるまで明子姉さんや古葉監督のように、
離れた本棚の陰からチラッ、チラッ、と顔半分だけ出す、まるで絵に描いた
ストーカーのような覗き見で時間を潰し、終了するやいなや誰よりも早く、
大きな拍手を送りました。



会場を出るといつしか雨もおさまり、ところどころにできたアスファルトの
水たまり、、そこに浮いている色とりどりのネオンに目をとられていると、
         ”さてと、、、  一杯やって帰ろかな、、”
無意識に出た独り言ですが、よくよく周りを見回せばここ有楽町だったんだ、、
さすが銀座は私の肌には合いません、、
というか、先ほどのサイン会にしたって、並んでいる人達の客層からして
ここは全然人種が違いますよ、、
まるで美術館や演奏会の常連さんを連想させるような知性と教養の塊の
ようなのばっかり、、
そんなもんだから本当だったらサイン会終了退席時、私の競輪場仕込みの
ドラ声で応援の言葉を送ろうと計画してたんですが、とてもじゃないですが
そんなことしたら、たちまち両腕抱えられて連行されちゃうような雰囲気
だったんで、猫かぶって、上品に拍手なんかしたんです、

つまり、私にはここよりも田端とか日暮里とか御徒町が似合ってるって
ことです、、、


              じゃ、御徒町行こ、、、、、
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10分ほどで私に合った庶民の街、ホームグラウンドの御徒町です、、

もう、こうなりゃ水を得た魚、 家に入った内弁慶、  ああ、空気がうまい!

この左に並ぶガード下の飲み屋の列、どこで飲んでも3000円もかかりません
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まあ、一軒目はヤキトンでも食べましょうか、、

じゃあ、いつもの ”手前味噌” ここは串とおでんがうりのお店です、
店員が皆テキパキしており、料理が出てくるのが早いのでお気に入りです、、


                 『生ちょうだいよ、、』
                     ↓
                 『は〜い!!』
                     ↓
                  30秒後
                     ↓
             『はい、生お待ち!  トンッ、』
                     ↓

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冷えた生を大事そ〜に半分飲んだらバックをガサゴソ、、

            興奮冷めぬ間にもう一度見ますか!

                 表紙をめくると、、、、
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心高鳴り気分舞い上がった夢の時間の続きが、ここにあります。
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しばし悦に浸り、取り囲む充足感のなか、ビールをゴクリ、、、
            ふ〜っ、旨ッ!  

すると頼んでおいたシロ到着、 ここはお肉(ホルモン)はもちろんの事、
このからし味噌が、いい脇役の仕事をしてるんです、、

ちょっぴり疲労を抱えた空腹時に食する冷たい生ビールと熱々のヤキトンの
組み合わせは抑えの効かぬ暴走機関車のような怒涛の食欲を沸き立たせる
もので、まるでハンセンとブロディのような最強コンビと言ってもいいでしょう、、
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こんどはタン、噛んだ時にジュワッ溢れる旨味と食感かたまりません、、

ああ、それよかホルモンばっかり食べちゃうと、また痛風になっちゃうんで
この辺にしときますか、、、

              あの痛みもたまりません、、、、、
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手首に目をやるも時間はまだ8時をちょっと越したとこ、、

ではもう一軒、ではいつものとこでも行きますか、、

この味の笛、一回は立ち飲み、けれど2階は座れます、
そして通なお客さんは暖簾をくぐらず、横の階段から2階へ、、

私ですか?、、             そりゃ、黙って一人、階段からですよ、、
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マグロブツ(200円)と生ビール(250円)、週刊文集は読み終わったら
お店に置くので、汚さぬよう注意をはらいながら、目を通します、、

それにしても表現の自由という名のペンの暴力とはよく言ったもんで
話に巨大な尾ひれを付けているのか、それとも火の無い所に煙を立てて
るのか、、、

けれどそれらを買ってしまう私も、それらを養ってるようなもんだから同罪か、、
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ここでビール2杯飲んで、都合4杯、、、 ではお楽しみの日本酒と
いきますか!

ぬる燗にしてもらって、ウマヅラハギのような口でチュ〜っ、と流し込めば
          ク〜〜ッ!!  浸みる浸みる、、、 


        やっぱ、お燗はお酒のホームラン王ですね、、
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2本目ともなると、酔いも回り、口寂しくなりヤッコ(200円)購入

このあたりからまたまた本を引っ張り出し、コップ酒片手にしみじみ揮毫を
見つめていると、先ほどの出来事はやっぱり現実の出来事だったんだ、と
再確認、、 
まるで長年ずっと憧れていた車の納車直後の真夜中、ふと目を覚ました時、
まさか夢の中の出来事だったわけじゃないだろうな、、  
そんな不安の中、おそるおそる窓を開け、玄関前を見下ろし、
ホッと胸をなで下ろしたあの日のようです、、



そのうち酔っ払って、頭がフワフワしてきたら、今日のサイン会に来ていた
人達の頭良さげな上品さ思い出し、ところで、なんでどうして、いつからこんな
立ち小便や野糞するような品の無い私が場違いにも、そんな人達に混じって
大衆文学愛好者の集いのような場にヒョコヒョコ出向いては
胸が締め上げられるほど喜んじゃうようなアンバランスな偏好性を持って
しまったのか、、、そのルーツを、ゆっくりさかのぼり思い出してみたんです、、


ところが、、、、、、




酔っ払い過ぎて何が何だかさっぱり分からず、、、












とりあえずもう一本日本酒買っていました、、、、



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ついでに赤魚も、、、、、、    (300円)




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じゃあ、その不可思議なルーツ、成り行きは次回にでも書きましょうか、、


30年以上生きてきた人は誰しも人生決定づけるような指導をしてくれた人の
存在ってあったと思います、、      そんな話です、、




酔っ払ってさえいなければ、なんとか書ける自信はあります、、、


             『ウィ〜〜ッ、、  ふ〜〜っ、、』

もつれる足でなんとか佐貫に辿り着くと家内と、あれっ、、助手席には
愛犬ブルが迎えに来てくていました、、、


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それにしても嬉しい、、、


あれから二週間、三度の食事時、座卓脇の棚に鎮座する本(赤猫異聞)に
手を伸ばし開き、毎回浅田次郎とのつながりともとれる揮毫を確認していると、
本来でしたら仕事の暇なこの時期、この難局をなんとかせねば、
良案はないのか、、う〜〜ん、などと小難しい顔でオカズをつついている私が
今年に限り、まったく、ちっとも、露ほどもそんな思いは無く、おかげで気分は
事業収益に反比例して潤いまくっているのがただ今の現実です。



とはいっても、もう10月、、
秋の長雨もそろそろ落ち着き、お店も忙しくなり始める頃なので、いつまでも
浮かれてはいられません、そろそろ気合を入れ気分を変えかえなければ、、

    じゃ、手始めに鋏でも砥いで真面目モードに修正しますか、、








| 店長の日本一ためにならない話 | 14:33 | comments(2) | -

最強宣伝営業




        ずいぶんと更新滞らせてしまい、すいませんでした。





たいしたことではないんですが、あの梅まつりサイクリングの2週間後、
予定通り桜観賞に行ってきました。正確に言うなら、途中迄行ったんです。
それも背中に弁当背負い、朝から張り切りまくって、、 


           その日の事を説明しますと、、
幸いその日は天気に恵まれ、春の匂いを胸一杯に吸い込み、鼻唄まじりの
上機嫌なサイクリングで、そりゃぁもう、気分も足取りも軽やかでした、、

なんてったって、その日の花見は私にとって春のクライマックスとも
いえるもので、陽春の休日、暖かい陽射しに囲まれ桜降るベンチで一人
心静かに弁当を頬張る、

そんなこと思い浮かべながら筑波山を目指し、田舎道をホッホと漕いで
いたんです、もちろん行先もしっかり決めていました(筑波山麓のつくし湖畔)

しかしながらそんな浮かれている時は古から”好事魔多し”とはよく言います。
だいたいそんな和みのひと時が危ないんでしょう、、  まさしくその諺とおりの
事が起こりました、、魔のイヤガラセでしょうか、何の理由も無く転倒して
しまったんです、、 それもド平坦な農道で、、 
        いまもって転んだ原因が全く思い浮かばないんですよ、、
そしてその時ひっくり返った衝撃で左掌を強打、振って治るもんじゃない
とは思いますが、何故か振ってしまうのは本能でしょうか、、、
幸いにも折れてはいなかったんですが、時間が経つにつれ痛みで力が
入らず、そのうちなんだかブラブラ揺れ出す始末、、  左手首捻挫です、

             、お帰りですね、、、、

この日の走行距離、たったの20キロ、弁当は家で食べました、、、、、、、


悲しいかな、 それが理由で私の2012年の春は目に滲みるほどの
サロンパスの刺激臭と共に、終息へと向かっていったんです、、








まあ、こんなことがありまして、桜観賞を記事にできなかった代わりと
いう訳ではありませんが、今月の身辺雑記は4月に富士理容館、
毎年恒例の佐貫駅での駅投をアップします。 
           というより実は他にネタが無いんです、、、、・

そういうことで、たまには仕事記事でも読んでやってください、、

いつも遊んでいるこんな私ですが、見えないとこで仕事もしてるんです、
平日は奥に引っ込んでることが多いですけど、昼寝ばかりじゃ
ありません。なんとか売上落とさないよう常に無い知恵絞って
アイデア捻り出してるんです、、

その一例が今回テーマのこの駅投、聞いたことのない単語だとおもいまが、
これが何かといいますと、簡単には、駅でのチラシ撒き、
けれども単にチラシだけなら経験上まず受け取ってもらえません、
そこでどうにか貰ってもらえるように、小さな配布物にし、それに小さな
粗品を付け、声を上げ挨拶をし、頭を下げ手渡しするんです、、
もっとも、この駅投、柏駅や松戸駅あたりではよく目にしますが
(美容室や居酒屋ですが) まさか佐貫駅で、それも日の出から声張り上げ
走りまわっている体育会系もどきの床屋は、茨城はおろか全国でも
富士理容館だけでしょう。


当店の宣伝手段は、お店横の2枚の垂れ幕や正面横の
イーゼル(プライスボード)で走行中の車や歩行者の方の目にいれて
もらおうという定番宣伝の他には、年数回のポスティング活動や、
たま〜の折込ちらし、メディア媒体だと、りゅーほーでの広告や
昨年市役所の書類封筒スポンサー等いろいろ力をいれてます。
結構他の理容店に比べると多いんでないでしょうか、、。
(もっともこんなに宣伝活動できるのも、当店理容組合に加入していない
とう理由もその一つですが、、 
まあ、ここでは理容業界の旧来からの深い因習は割愛します、)

だからといって、やみくもにお金をかけたり体を使ったりしている訳では
ないんです。実は全部において共通しているものがあるんです。それは、
見て頂いた方にいかにしてHPに飛んで来てもらうかという工夫です。 
よ〜く、注意して見てみると、すべての広告物には検索バーとク
リック矢印が印刷されています。
       (ここからは理容業界以外の方も必見です)
なぜならば、当店、新規のお客様が御来店されると技術中に、さりげなく、
    『誰かのご紹介ですか?』 と尋ねるんです。
すると紹介で来たと言われる方は1割程です(中・高生除く)
通りがかりや気になってたとの方も1割、、では残り8割は何かというと、
これHP絡みなんです。NTという地域柄もあるかもしれませんが、
近年広告宣伝においてこれほどにまでインターネットの力が集客に
好影響をもたらしてくれるという現実には、あらためて驚かされます。

やはり誰しも初めてのお店に一人で来店となると多少の不安を持つのは
当然です。だからこそ事前にお店の特徴やスタッフの風姿等の情報を
知りたい心理というのもこれまた当然のことだと思います。
それゆえに、その思いに応えてくれるHP情報というのは、どこのお店を
選び取ろうかと迷っている方にとっては、モノ凄く価値の高い発信情報
なんでしょう、、 
おおげさな喩えかもしれませんが当店HPは優秀な営業マンに匹敵する
ほどの成績を上げる4人目のスタッフといってもいいものがあります。

ただ、根本的な問題として、HPがあっても検索して見てもらえなければ
少しの価値もありません、、宝の持ち腐れです、、
そこで、検索というゴールに向けての色々な伝達体が重要となります、
もちろんそれは検索してみようと興味を沸かせるものでないといけません。 
どういう事かというと、見てみようと思わせる関心と心理とをこちら側が
作って提供しないと見てもらえないんです。

           何もしなければ尚更です。



よって今回はその伝達体の中で最強とも言える駅投の紹介です、、





これがその配布物、大人の手の平に合わせた大きさです。
もちろん検索バーは一番目立つ場所に設定してあります。
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裏はシルバーと学生さんのサービスコースの紹介を印刷しています。
当店、大学院卒業迄は1900円です。 感覚的に、この層は2000円以上
だと来てもらえません。よって、なんとか彼らの落とし所を模索した末、
幸か不幸か今時の若者は顔剃りを重要視しないことに目を向け、
顔剃りは切り捨てました。
その反面、カウンセリングに重きをなし、要望とアドバイスが一致するまで
打ち合わせます。最近の若者は子供の頃から1000円カットに行き慣れてる
影響でしょうか、このカウンセリングが斬新な感覚のようです。

シルバーサービスについては、しばしば 『その”シルバー”っつう呼び名が
気に入らん!、ましてや60歳でシルバーなんて、けしからん!!!』
との意見がありますが、女性も対象のコースです”シニア”や”ミドル” では
苦しいのです。ましてや世間では満50歳以上がシニアの定義です。
これも苦しい、、よって、そこをよく説明して、なだめています。

このシルバーコース、平日、多くのご隠居さん達が利用してくれ、金額、
サービス、心意気、とても喜んでいただいてます。 
  (只今キャンペーン中、さらに100円引き)
そして当店にとっても、活気溢れる空気を与えていただき、双方満足な
企画です。

   これをご覧の60歳以上の方、どうですか?
              金額を超えたクオリティーを約束します。
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ま、宣伝はほどほどにして、、、、

さて、中身です、
せっかく手渡したはいいけど、ポイされちゃぁ、意味がありません。
やはり、できることなら職場のデスクにでも保管してもらいたい、、、、 、、
されど高価なものは予算上困難、、、  
そこで、よくよく私のようなオッサンの習性について思い巡らせたんです、、
そして長考、熟慮を重ね、辿り着いたモノが絆創膏と耳かき綿棒でした。
耳かき綿棒の理由はというと、私達オッサンは、たいがい耳ほじくって、
デカい耳くそがボロッと、取れると感動にも似た爽快感が湧き上がって
くるんです。  
一度でもその爽快感を味わってしまうと性懲りもなくまた始まるんですよ、、
それでそのうち、耳かきが無い場合には、爪楊枝やらマッチ棒を
突っ込んではゴリゴリ掻いて、しまいには外耳道炎になってしまう、、、 
こんなとこでしょ、、
それともこの習性、というより行動パターン、私だけかな??
ま、いずれにせよ柔らかい耳かき綿棒はオッサンには、ありがたいモノ
なんです、、

絆創膏(3枚)についても同様、酔っ払って柱にオデコをぶつけ流血した時
などに威力を発揮します、、
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床屋は1月、2月は暇な月です。 なので暇な時間早めに制作に入り4月に
備えます。約2000個、お客さんのいない時間は皆で、くだらない話で盛り
上がり内職気分で暇な時間を過ごします。


そうして出来上がった配布物、 これを約2時間で全て撒きます。
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駅ロータリーの駐車場に車を停め、これを持つにも一人じゃ辛い、、
お客さんが沢山来てくれるよう願いを込めて四方を一人づつ持ち、駅の入口へ、
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早朝5時半集合、この日のメンバーは男子高校生1人、女子大生3人、
当店スタッフ1人、それと私の計6人、
全員集まったとこで、私の作戦を皆に説明します。

             その作戦とは、、、
私を除く5人を弓なりの等間隔に配置し、向かってくる対象の人に対し
前列2人が差し出す、差し出せなかった人には次の2人が差し出す、
それでも洩れたら最後の一人が手渡す、、 後方監視、縦3列の
波状作戦です。これならほとんどの対象の方に差し出せます。
そしてそれ以上に念を押したのは声を出すこと、

”おはようございます!” ”床屋です!” 手の位置に差し出す時は 
”よろしくお願いします!” 貰って頂いても無視されても 
”行ってらっしゃいませ!” 当然、貰って頂いたら ”ありがとうございます!”
もちろん、きちんと頭を下げるのも忘れてはいけません、、

この中で1番重要な掛け声は ”床屋です!” なんです。
なぜなら、美容室や英会話教室、スポーツクラブあたりの配布物だったら
30〜60代の男性は受け取らないですよ、 もし受け取ってしまっても、
それこそポイですよ。  
だからこそ声を出し『床屋です!』と挨拶するんです。
それに、挨拶されて気分が悪く感じる人はいないんですから、、

また、その年齢層狙い撃ちするにはその方達の子供と同年齢位の
アルバイトが効果的なんです。
何故かというと、朝早い時間から自分の娘や息子と同世代の子が
小走りで駆け寄り、頭を下げては挨拶し、『よろしくお願いします』と
差し出すんですから、受け取る人のほうが私より圧倒的に多いですもん、、

事実、私と女子大生達だと、受け取って貰える比率は3倍の開きかあります、


               陽の上り始めた佐貫駅
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                   左に二人
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                 右に二人

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                中央の奥に一人、、
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ここで私は配るよりも、お客さんへの挨拶がメインです。
当店常連さんを見つけては、 
『OOさん、おはようございます、行ってらっしゃい!』

『OOさん!おはよう!クーポン付いてるから持ってって、ハイ!』 
こんな感じです。

ところが実はこの駅での挨拶、もうひとつの大きな目的もあるのです、、
それは、以前来てくれていたお客さんへの挨拶です。
よく、スーパーなんかで、ご無沙汰のお客さんとバッチリ目が合う事って
結構あるんですよ、、 なんかちょっと気まずいんです、、
その上、その方の髪の毛が、さっぱりと散髪されてると、さらに
気まずいんです。だからといって目をそらし知らんぷりする訳にも
いきません。そんな時でもやはり 『あれ、OOさん、お久しぶり!』 頭を
下げないといけません。
本当は 『なんで来なくなっちゃったの?』 と、来なくなった理由を
訊きたいのが本音ですが、慎ましく挨拶すると、
      『いや〜っ、今度また行くよ、』 、なんて返事言われたことも
随分と多く、実際に再来店され、また常連さんに戻ってくれた方も
多いんです、だからこ、そこういう場はチャンスなんです、
前方で配布物を渡され、チラッとそれを見て、歩みを進めたところで
奥に控えた私に名指しで挨拶される、、

それもこれも全ては、お客さんが沢山来てもらいたい一心からの行動です。

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とはいえ今でこそ気持ちに何の抵抗も無く動け回れるようになりましたが
始めた当初は、嫌々ながらの思いもあったんです、  

つまらん昔話ですが、、、

思い返せば、この駅投、これを始めた16年ほど前には、テレビでは、
みのもんた司会の ”愛の貧乏脱出大作戦” なる番組が放送されて
いました、、結構長く続いた番組なので記憶にある方も多いはずです。
その中身は書くまでもなくお分かりかとおもいますが、、一言で言うならば、
潰れる寸前のお店をなんとか立て直す、というもので、努力も探究も向上心も
無い、なるべくしてこうなったと納得するようなダメ店(おもに飲食店)を
同業繁盛店主(番組内では”達人”の名称)が力添えして支え、意識改革を
基にダメ店を繁盛店へと基礎的なものから改善していくいう、いわば
退廃進行形店の救済及び劇的再生を謳った、ダメ店主お助け番組
だったんです。付け加えるならば、怠け者(店)にやる気を起こさせ更生させる
という発想はTOKIOの”ガチンコ”という番組にもよく似ていました、、

そんな企画が世の中の興味を持たれていたというのは、傾きつつあった
当時の景気から生じた不安に対し、ダメ店主とはいえ心根を入れ替え、
地道な方法で不景気に抗う貧乏商売人の姿が世間の支持を受けたんでは
ないでしょうか、、


それがなんなんだ?とお思いでしょうが、実は当店の駅投、その番組の
地道なやり方を参考にしたというわけではありませんが、
開店前の宣伝方法がまるで酷似していたんです。
少ない経費で(手作り、家内制手工業)作れ、手渡し対象の方達が何千人と
集まる場所で対面で声が掛けられ、そして短時間で能率よく配れ、その上、
手に取って頂いた方に直接お礼が言える宣伝となると、この駅投方法が
なによりも経済的であり理想的であったんです。


ところが、誰もが知っているその人気番組の内容(宣伝方法)とモロかぶりし
ているわけですから、当時、佐貫駅で早朝、腰を曲げ頭を下げ配布物を配る
私の姿に、出勤途中の人達の中には ”なに?これひょっとして番組ロケ?、
カメラどこ?” などと感じ、あたりを見廻した方達の少なからずいたはずです
そんなにも似通ってた方法なんですから、自分のなかで、この行動自体が、
まるで”貧乏ですアピール” している(実際貧乏ですが、、)惨めな
床屋のオヤジの姿に映ってるんではないかとの、ゆがんだ妄想に
苦しめられていたんです。

やらなきゃならない義務感と、恥ずかしさ、という名の劣等感が胸の中で
ガップリ四つ、つまりは、体裁の悪さを気にするチンケなプライドとの
闘争でした、、、、

いつでも、こういう小さな葛藤が発展や向上の大きな障壁になるんでしょう、

たかだか配布物を挨拶しながら撒くだけなのに、何言ってんだ、
と、おもうでしょうが、これ実際に駅に立ち、行き交う人と正対してみる
思いのほか尻込みしちゃうもんで、なかなか声って出ないもんなんです、、 
”言うは易く行うは難し”ならぬ”計画するは易し、されど実行するは難し” 
とでもいいましょう、、、

        
されども、やっとのおもいで自分の店を持ったんです、
こんなもんにためらってたら次に進めないばかりか、自店を繁盛させ
周りを見返し、雇われていたお店の店主全員を必ず超えると心に
決めた大願に近づくことすらできません、、
       撒かなきゃ、、声出さなきゃ、、挨拶しなきゃ、、、
こんなとこで止まってたら長年、計画実践してきた自の未来決定図を実現
させるために歯、食いしばって出店したのに、こんなんじゃ、また雇われの
身になっちゃう、、、、
体一つで何のリスクもとらずに文句ばかり言ってる連中のとこに
また逆戻りしてしまう、、

”これじゃあ、いつまでたっても貧乏から抜け出せないじゃんかよ、、、、”

そんな、焼きつくような焦燥に苛まれてた16年前の早朝だったのです。


しかれども、幸いなことに貧乏床屋の倅として生まれ育った私にとって
貧乏の辛さは、あばら骨の一本一本に刻み込んでいるほどの
忘れられない過去です、
その辛酸に徹底抗戦を誓った証が私の13年に及ぶ下積み時代でした。
だからこそ1日でも早く使われる側から使う側になると決めていたんです、、、


    ”なりたい、” ではなく ”なる!”  と決めていました。


長い間培った知恵や経験、技術を基に統率をとり采配を振るうことも固く
誓ってた、、、、
そしてなにより、”しっかりとお金を儲けて安穏な生活を手に入れてやる” 
という岩をも突き通すほどの一念をも胸の奥底で赤々と燃え続けていた、
願望などというそんな生ぬるい想いではなく、飢餓感に覆われた渇望とも
いえる狂おしいほどの執念が独立を目指すエネルギーの源流だったんです。

冷静に修行及び職人時代の志を思い起こし、思い比べれました、すると、
こんなつまらんプライドなんか辛抱続きだった13年に比べれば、吹けば
飛ぶような風の前の塵みたいなもんだと、その場で思えきたたんです、、、

そんなんだったからこそ、不遇の憂き目にあう経験もそれが後々に
人生のスタミナへと転化され、幸いへの礎へと形を変えていくものなのかも
しれません。今にしてみれば、ここでこう、座卓座椅子でキーボードを
打っていられるのも、あの日あの時体裁や世間体なんかを気にして
進めることのできなかった足を前に進められたからこそであって、
その踏み出せた源動力は紛れも無く、そのしょっぱい”不遇の過去”と、
そこから生まれた”巌の志”だったんだと今になってもなお、そう信じてます。

毎年ここで駅投するたび、まさしくその一歩を踏み出した場所に立ち、
16年前の事を思い出します。
すると、あれから色々なこともありましたが、理容の仕事に就いてよかった、
無理してでもここ龍ケ崎にお店を出してよかった、、、、、 
そう全くもって心底思えてくるんです、、

そしてあの ”愛の貧乏脱出大作戦” という番組のことも思い出しては
一人苦笑いしてるこの頃です、、、、、、



なんだか話が横にそれちゃいましたけど、駅投には、こんなの人に
知れるのも恥ずかしい珍妙な心模様があったんです、、  
   
                  ああ恥ずかし、、、

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6時近くなると人の数も多くなり、このあたりからが気合のいれどころです。

ここ佐貫駅を朝、利用する方はだいたい1万人くらいでしょうか、、
1万人のうち6〜7割が男性、 そのうちの7割程に声掛け、差し出し、
受け取ってもらえるのが2人に一人、、

2時間という限られた時間で撒くとなると、2000枚が限界でしょうか、、、

けれど2000人の方に対し確実に宣伝したわけであって、
中身の濃い営業だとおもっています。
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では、2000枚撒いて、いったいどれほど新規のお客さんが来店して
くれるのか?
これを読んでもらっている同業者の方(検索キーワードでのアクセス解析に
より半数以上が同業者だと分かります)、ここ、知りたいとこでしょ、、、
あと、これをやって投資額以上の回収ができるのか、、、 これも、、

もちろん異業種の方も気になるとこだと思います、、、、、



          いいですよ、教えましょ、、、、



あれから1か月近くたちますが、これをキッカケに来てくれた新規の
お客さんは、シルバーを含め5人ほど、
まあ髪の伸び具合もありますんで即効性はありません、、
しかしながら、駅投実施理由にHPアクセスを上げるとの目的からすると、
実施後 ”富士理容館” のキーワードでかかった検索は以前の5倍を
越えていました。
これは単純に閲覧数が増えたというわけではなく、
駅投をきっかけに上がった検索数であって、いわば、伝達体(配布物)を
手に取ってくれ、それを見てアクセスしてくれた方達の数です、
つまりは佐貫駅を毎朝利用する龍ヶ崎在住の方の人が駅投をキッカケに
見てくれた人数でもあります。
となると、地元の富士理容館という床屋の詳しい情報を頭に収めて
くれた方の数と、駅投実施後に伸びた検索数との数は一致する
ということになります。

これだけでも、もう十分やっただけの価値ありでしょう、、
採算についても、1年間に2人常連さんになってくれれば、お釣りがきます。
(制作単価は10円をちょっと超える位、人件費は、こんな時間です、ケチり
ません)

私は、この駅投は、営業収支で見るよりも将来の可能性に投資しているんだと
捉え毎年実施しています。 (転入の多い4月、それも前半が絶好の時期です)

そして何といっても2000人以上の方達に元気のあるお店とのアピールが
できるので、その中に  ”たまには違う床屋行ってみるか、、”
との気持ちが湧いた方がいたときは当店のチャンスになるはずです。


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今回も長い記事なりましたが、もし営業活動で停滞している事業主の方
いたらどうですか駅投?
恥ずかしさの向こう側に開眼できるものが必ずあります、、





               ちょっとオマケ、、











次の日はやっと駅投が終わった開放感から御徒町に一郎君を呼び昼酒、、、



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              おい、一郎、乾杯だ、
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2軒目、チューハイ4杯飲んで、


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もう、グニャグニャ、、、、、

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”巌の決意” なんて立派な志を持って、さぞかし高潔な人格者になると
思いきや、、、、時は流れ、大衆酒場でこのような大酔っぱらいの
痛風オヤジになっていました、、、

               私、来年50歳になります、、、、。







| 店長の日本一ためにならない話 | 23:18 | comments(0) | -

友達の引退



私の目の奥に、焼き付いては忘れることのできないシーンがあります。

それは15年近くも過ぎた今でも全く色褪せることなく頭の中に刻み込ま
れているもので、目を閉じ、その場面を回想すると前頭葉の内側が
スクリーンとなり、すぐさまハイビジョン並みの映像が順を追って浮かび
あがってくるんです。

そのシーンとは、、

殺伐な空気に占領された金網の背後から雷鳴のように轟く毒々しい罵声や
眼前からカランカランと耳に残る均一な金属音、それらの雰囲気とは対照的な
場内を包む青く澄み渡った空の色、 ”それらすべてを一枚の絵にまとめろ” 
なんて、いきなり言われても即座に描けてしまう程に忘れられない印象的な
ひとコマなんです。


その時の私はゴール前の金網をネジ曲げるほどの力と共に大声で
何かを叫んでました。  
喉仏が飛び出す程の絶叫でした。
しかしながら今になってみるとどんな言葉を叫んでいたかははっきり覚えて
いません、、 
ただ、落車し、体半分のユニホームが破け、中のプロテクターがムキ出しに
なりながら力無くゴール線を目指していた一人の競輪選手の背中を
押してあげたい激情が生み出した声援だったというのは間違いありません。

まあ、実際には声援なんて上品なもんじゃなく、単に、はたから見れば
金髪のあんちゃんがフェンスにしがみつき、ドでかいドラ声あげてた、、、
こんなふうに言ったほうが、寸分たがわぬ表現でしょう。

それほどかつての競輪場とは品の無い場所で、”馬鹿野郎!” ”こん畜生!”
はあたり前、 負けた選手には ”ノロマ野郎!” ”やめちまえ!”
1着になった選手にさえも ”この野郎、余計なことしやがって!” 
そんなもんですから落車した選手などには、この上ない悪罵の嵐でした。
いずれにしろ当時の競輪選手は、高給と引換えに競走に勝とうが負けようが
罵られるという過酷な職業だったのです。



その日の朝、橋本龍太郎総理がアメリカ国債を売る売らないなんどの
ニュースを横目にしながら私はおろしたてのハンチングを被り、
いそいそと電車で千葉競輪場に出かけたんです。

この頃の私は仕事はそこそこ順調だったんですが、個人的に抱えてた
数々の問題が大きく肩にのしかかり、それにより鬱積したストレスに
押しつぶされるんじゃないかとの恐怖感と、その目の前の問題に対し
正面切ってぶつかっていかない自分に対する自己嫌悪、、この二つに
悩み続ける毎日が続き、ほんの数時間でも現実を忘れられる競輪は、
うってつけの逃げ道でした、、  つまりは、目の前の厄介な難題を
先送り先送りし、ギャンブルにうつつを抜かす根性無しだったんです、、

こんな時期は片道2時間もある道のりもアッというまで、スポーツ新聞の
競輪欄を舐めるほど睨み読みし、気が付くと西千葉駅でした。

この日は丸一日競輪を楽しみ、いっぱい儲けてやろうという浅はかな
思惑の他、決勝レースには友人が出走するので、1着が獲れるように
応援する大きな目的もあり、そしてその帰りに彼と一杯飲む予定も
含め、突き抜けるような青空の下、意気揚々と一人千葉競輪場に
乗り込んだんです。

ついでに、もし20万位浮いたら栄町か西船で、久しぶりにお遊び
しちゃおう、なんて邪な考えがあったのも事実です、、、、。

ところが、、、  あたりまえの展開です、、

場内に入るなりアジフライを頬張りながら最初のレース、  負け、、、
まあ、初っ端はご祝儀のようなもん、2レースはもらった、 負け、、、
さっ、て、とっ、そろそろ本気出しますか! 3レース、  負け、、、
2枠複で買い目増やしましょうかねぇ、、 4レース、  負け、、、
なぁに、そろそろ一発ガツンで逆転よぉ、5レース、  負け、、、



その後私は順調に負け続け、とうとう最終11レース、もう後はありません、、
この競走に友人は黄色の勝負服5番車で発走台に並んでいました。
スタート地点の金網に手足をへばりつかせ

        『おお〜〜い!頑張れ!一着なぁ!』

きっとバンク内の選手達には飼育ネットに張り付いてこちらに向かい
キーキー喚いているエテ公くらいにしか映ってないもんだとおもいます、、、

あと、このレースには彼の競走の障害になる捲り屋の ”秋田の煤賀(すすが)
というイヤ〜な選手もいたので、ものはついでです

『おいこら、煤賀! 余計なことしないで今日はおとなしくオトボケしとけよ!』

         目の前で軽〜く恫喝しておきました、、、

号砲と共に9車スタート、 周回中友人は好位置キープ、粛々と周回を重ね
これから始まるスピードとパワーの肉弾戦への期待からゴクリと唾を飲み
込めば心拍数も血圧もジワリとハネ上がるのがわかります、、
そしてレースが動き始めたのは第三周回、彼の機関車(前を走る同門弟子の
東京の川村)が一気に前にでました! 

『よ〜〜し!よしよしよし!! 川村!そのままブン駆けだぁぁぁああ!!!!』

最終ホーム、あと500メートル! 
川村は猛烈なスピードで空気を切り裂きます!  
9車一本棒状態で最終バック!あと250メートル!
友人は2番手最高の位置!4角(最終コーナー)までもてば千葉は
直線長いから追い込み型の彼の脚質ならチョチョイのチョイのチョチョリーナ、
直線一気で回らない寿司屋で乾杯コース!
     『神様仏様ど〜〜か、煤賀が捲くって来ませんよ〜〜に、、、』
組んだ両指を胸に押し当て力一杯深呼吸、、  すると、後ろから、
            『おら〜っ!煤賀〜ぁ!捲れ捲れ!!』
どうやら煤賀絡みの車券を買ったファンからの叫び声、瞬時に後ろを振り返り
                『うるせぇ!ジジイ!!』
ここでも恫喝、届きはしないと思うけど、そんなんで煤賀が本気出したら
どうすんだ!!

すると、、、 ありゃりゃぁぁ、届いちゃったかな?、本当に来ちゃったよ、、、、、
赤色3番車の煤賀が頭を上下させがら強烈な捲りでこっちへ向かってきます、
4コーナー手前、6番手、5番手、4番手、、、、 鬼神のような勢いです、、
川村頑張れ! もうちょっと!   あれ?、先頭走る川村は??

   うわぁ〜〜っ、 川村疲れてフニャフニャになっちゃってんじゃん!!

           そこに煤賀が、、、、  ああ万事休す、、、

とは、ならないのが競輪であり、走っている選手は皆役割があるのです。
こういう時は捲ってきた選手に対し捲られるライン(集団)の2番手が
捲られないように、オラ、オラ!と、ブロック(邪魔)をするんです。
そうやって後続ラインを前に出さず先行選手を守りゴール線までもつように
フォローすんです。 もちろんブロックできないほどのスピードが出てたり、
ブロックしてる間にイン突かれたり、横一線になってしまったり、
数多くの展開があり、必ずしもブロックが成功するとは限りません。
しかしながら先行屋は後ろが守ってくれると信じ、あえて風圧を受けてまでも
後ろを引っ張ります。
追い込み屋は自分の風よけになってくれてる先行屋の為、邪魔者を退治
します。
そうです、要は先行ラインはお互いの信頼関係で成り立ってるのです。


4コーナーを直前、直線勝負になる前あたりでスピードのった煤賀が突風
のように襲いかかってきました。それに続き、後続集団も 今まさに
川村ラインを飲み込もうと迫り来ている状態です!

   『くっ、一発張れ!』     奥歯を噛みしめながら絞り出た声でした、、

もちろん一発張らなきゃいけない義務があるのは友人本人も
重々承知なはずです。

           ”ガツン!” と一発煤賀の側頭部への頭突き!
(ルール改正前までブロックも頭突きはあたりまえでした、今はありません)

耐える煤賀、、、   の、はずが、、次の瞬間信じられない事が、、、、、

頭突きが効いてない!!  なんと煤賀は何事も無かったかのように態勢を
立て直し、力強く踏み込んでいきます、、

             ”こいつ、、 ボボブラジルかぁ?”

こうなると防波堤が決壊したも同然です。煤賀に続く一団がゴールに殺到!
外にもち出さず、皆インを突いたもんだから友人がアンコ(サンドイッチ状態)
になり、、、  まずいぞぉ、、 と、その瞬間!


            ”ガシャン!!  ザザ〜〜ッ!!”

1人落ち上に後続選手が乗り上げたんです、、何番車かは分かりませんが
宙に浮きバンクを転げる2選手の足と自転車が結び付いたまま一体となり 
”シューッ” と地を滑る、もの凄い音がしています!
他の選手は、仕事上あたりまえですが ”我、関せず” もはやゴール線へ
到達してもう背中しか見えません、、
落車なんて1日いれば1〜2回は見るもので、さほど珍しいもんでもないん
ですが今回は少し違っていました。 3人とも全く動かず完全にノビたままです、
救護員(通称、引っぱり)が駆け寄り問いかけています、
(走れますか?と3回訊いてダメなら担架、死亡事故も稀にあるんです、、)

金網懸垂状態で首を伸ばすと、紫とぉ、緑と、ありゃりゃ、黄色もだ!  
9番車、6番車、そして友人の5番車、
すると、すぐさまあちこちから情け容赦ない罵声が、、、

『この、大馬鹿野郎!!! 一生寝てろ! 役立たずがぁ!!』

      『死んじまえ!! ゴミクズ野郎!!!』

耳を覆いたくなるような不快で愚劣な野次がよくもまぁ、次々と出てくるもんだ、
いくらなんでも60キロ以上のスピードでアスファルトに叩きつけられ
傷を負ってる人間に対しこの仕打ちはないでしょうよぉ、、、、
死者にムチならぬ落車に罵声、今はもうこんな野次飛ばす奴はいませんが
以前の競輪客は醜悪極まりない下衆が多かったのは間違いない事実です。


緑の6番が担架に乗せられました。乗せられる時、腕がグニャリと
垂れ落ちた様子からみると意識はない模様、、 9番も同じく、、、  
       こりゃ、帰りに一杯どころの話じゃないぞ、、、、
いつもと違うアブノーマルな落車事故を直視していることに、だんだん喉の
奥が重苦しくなるのがわかり、ましてやその対象が、つい4,5日前にお互い
冗談飛ばしあってた友達ともなれば、ことさら気分は鈍重さを増していきます、、

もうこの時には帰りに一緒に飲もうなんて話、どうでもよくなっていました、、

担架に横たわる6番と9番が多人数で運搬カートに乗せられている様子が
見えます、、それをバンクを一周し帰路へ着く途中の煤賀や川村が心配そう
に眺めてるのも、、


        と、その時、”嘘だろ!!” って光景が! 

            

5番車の友人がバンクに両手を着き、ゆっくりと起き上がったんです!


ユニホームは破けボロボロになり、ヘルメットも中身の保護材が露出し、
右足からは血が滲んで、見ていられないほどの痛ましい姿のまま
立ち上がったんです。
私も数多くの落車事故を見ましたが、こんなにもダメージを受けの再乗は
めったにない珍しいケースです、、
「なんだよ、そんな無理に起き上がんないで寝てれば楽なのに、、」
これを見たら100人が100人この言葉が出てくるでしょう、、
ましてや決勝戦とはいえ7着じゃ賞金も大したことないんだし、、 それに
あれだけ派手にやっちゃったんじゃ、きっと肩の骨は折れているはずです、、

それなのにまた再び自転車にまたがり、フラフラになりながらもゴールへ
向かって漕ぎ始めました、、
カラン、カラン、と折れたスポークの規則正しい金属音が響くなか、顔を
しかめながらも、しっかりと前を見据えながらこちらへ近づいてきます、、、

どうしたことでしょう、?近づいくるほどに、だんだんと私の呼吸がおかしく
なっきました、心臓が暴れ、不整脈を打つような息苦しさです、、

そしてはっきりと目に収まる距離を、ゆがんだタイヤが回っています、


すると、私にはまるで喧騒に包まれた競輪場が一瞬、真っ暗になり、傷だらけ
になりながらも前へ前へと進むその競輪選手だけにスポットライトが当てられ、
戦い敗れたが、不運にも苦難にも苦痛さえにも何一つ文句を言う事無い男の
不撓の生きざまが浮かびあがっているような気がしてならなかったんです。


すぐさま沢山のものが頭を走り抜けました、、

焼き鳥片手に向かい合い、二人でビール飲みながら、私の知ったかぶりの
競輪うんちくをいつもウンウンと聞いててくれる友人です、、
毎日毎日毎日、毎ぃ日ちぃ、野村病院に入院していた時さえも練習していた
真面目な友人です、、
三人の子供をこよなく愛し、溢れるほどの愛情を注ぎ続ける子煩悩な友人です、


腕に力が入らずどんなに痛い思いをしてるんだろう、、

こんな罵声を浴びせられどんなに辛い気持ちだろう、、、

負傷したことを家族に伝える事を考えるとどれだけ心苦しいだろう、、、、


それでもゴール到達という義務(賞金をもらって家族に渡す義務)を遂行する
為に苦痛や罵声に立ち向かい、ボロボロになっても一歩でも前へ進む彼の
姿を見ていると、私にとってそれは不屈の現身であり、勇気という2文字の
生きた塊でもあり、負けじ魂そのものといってもいいものでした。

そして気がつくと叫んでたんです、、金網を握り潰すほど力を込めて
青い空へ届くほど、、、  誰よりも大きな声で叫んでいました。
車券は獲れなかったけど、どうしてあんなに興奮したんでしょう、、
たぶんあのときの彼は、私の心にどうしても足りなかった逆境に立ち向かう
勇気と行動いうものを体を張って私に示してくれたんだと信じています、、

では一体何を叫んでいたんだろう、、 
自分では彼の背中を押すような声援だったと言ってはいますが、
今になって思うと、その時期、苦難から逃げ回っていた自らに対する
叱責の言葉だったのかもしれません、、

         『畜生!畜生!畜生!、馬っ鹿野郎!!』

それは6月の空にこだました根性無しの涙声だったような気もします、、











あれから15年たった寒い冬の夜、一通のメールが届きました、、

”突然ですが、体力の限界がきました。次回の大宮をもって引退します、
         長い間応援してくれてありがとう、、”

前文での競輪選手、吉沢隆男君から届いたものでした、、
彼も私と同じ48歳、新人選手とは親子ほど年が離れ、20代あたりのイキの
いいモンとの体力勝負じゃあ、そりゃ、しんどいはずです、

ところが彼の競走得点(持ち点)を見てみると代謝(クビ)になるような点数
ではなく、班級が一つは落ちるけど、まだまだ十分残れる条件を
満たしているんです、、
ならば、そこんとこチョロッと訊いてみようかと、かすめたんですが、よくよく考え
てみると、超が付くほど真面目な男が決めたことです、塵ひとつ無い胸の内が
出した結論には違いありません、無粋なことは放っぽっといて、だったら最後の
競走になる大宮競輪の最終日に、それこそ埼玉スーパーアリーナまで届くほど
ドラ声上げての応援及び、邪魔者選手への恫喝?で送ってあげることが
私流の送辞と考え、

              行ってきました、大宮競輪へ!!


大宮競輪は柏から東武野田線で1時間ほど揺られて行くんですが
もう何回目だろう、このワクワク感、 

もう何度も吉沢君の応援にかこつけては、松戸、取手、千葉はもちろんのこと、
京王閣や平塚、今は無き花月園等、ずいぶん遠征させてもらいました。
上の記事以外は皆楽しい思い出です。
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野田市、愛宕、春日部、七里、、、 
懐かしい地名がアナウンスされるたびに、なんだか何十年ぶりに
故郷へ向かう帰郷列車に乗っているような気分でした。



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この日は通常F矯能日、、このとうりお客さんもチラホラしかいません。
以前、私の未来予想で  ”競輪は今のファンがいなくなったら滅びる”
などと書きましたが、おそらくこの予想、岩より堅い鉄板勝負、
単勝100円元返し、一本被りの日銀レース、、、  
要は、とにかく外れないとのことです、、

それだけ寂れ、地方草競馬の風情すら感じます、、
だからこそ、”頼むから無くならないでくれ、、”  と、いつも胸の中で
手を合わせているんす、、
(皆さんも競輪に足を運んでみてください、今はもう、ガラの悪い奴は全く
いません。 強いて言うなら、金網にへばりついて大声で選手を激励?
指導?、恫喝? している私が一番目ガラの悪い、
昭和の生き残りファンかもしれません、、)

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この日の4レースで3連複4260円の配当を少しだけ獲ったので、
お目当てレース前ちょっぴり浮いていい感じ、、

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大宮競輪は発走台とゴール(青い線の切れている地点)の前は係員しか
入れません。 これは罵声対策でしょうか?

特観(特別観覧席、この日はタダ)からなら、このように発走台に並んでいる
選手の表情まで観察できます。
しかしながら選手との間には厚いガラスにより隔てられ声は届きません、、
にもかかわらず、  『〇〇〜!、一気に叩いて(先行)いけよ!!』
などと、叫んでいたオチャメな爺ちゃんがいました、、
すると傍にいた同年代の爺ちゃんに、『横着しねえで、外で言ってこい、』
と諭され、しょんぼりしていた表情が印象的でした。


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第4レースが終わり、5レースはとうとう吉沢君の競輪人生最後の競走です、

競走前には必ず地乗り(選手紹介)というものがあり、この時に、各々の
選手がこの競走ではこの人達とこういう並び方で組みますよ、
との意思表示をしなければなりません。
(それを参考にして予想、車券購入の流れとなります。)

4レース終了後、色とりどりのユニフォームの中、吉沢隆男君が赤の勝負服に
身を包み、冬晴れのバンクに姿を現しました。

     『おお〜〜い! よっちゃん!!頑張れな〜〜っ!!』

ありきたりの励ましですが、この声援には ”応援に来たぞ” のアピールや、
”頭(1着)で買ったぞ” 今回は ”長い間お疲れさん”、等、色々な意味が
含まれています、、
もちろん八百長嫌疑の観点から、選手は返事をしても手を振り返しても
いけません。 (懲罰対象になってしまいます、、)

ノロノロ並びはじめると、、、 あれ、2番車の晴山、この選手、捲り追い込み型
なのに、吉沢君連れて逃げる気だ! この番組なら、4,9,2,3、の並びで
ひとつのライン(埼京ラインと言い、埼玉と東京は連携仲間なんです)に
なるはずなのに晴山と、吉沢君の2車で回ってるんです。

これは後輩の晴山が先輩を引っぱって最後の競走に華添える気です!

ほ〜っ、こりゃ期待できそうだ、、 このレースはこういう並びになります、

    予想、、           

              ← ↰   ← 5(黄)7(橙)1(白)
    ←  4(青)9(紫) 2(黒)3(赤)
             ← 6(緑)8(桃)

4番が目一杯引っぱったとこを2番3番が外へもちだし捲る、そして3番の
吉沢君が直線差してハッピーエンド!
怖いのは3番晴山がインに詰まって蓋されちゃうのと、5番小塚の捲りです。
言うまでもなく、そんなことは晴山自身も重々分かっているはずですから
粉骨砕身自力を出し切り、小塚の動きと自らの捲りのタイミングさえ誤ら
なければ東京同士(よっちゃん、晴山)のワンツーでしょう、、、

大宮来場のお客んの中で、この競走が吉沢隆男引退レースとの情報を
知っているのはきっと私だけでしょう、、    くくっ、、
        あっ、そうだ、! 海老根君に電話しよ、、
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競走5分前からこのポジションを確保、金網の隙間にレンズねじ込んで
撮りました


  『おお〜〜い、晴山!! 今日がどんな日だか分かってんだろうなぁ!
    隣の吉沢さん、今どんな気持ちだか、推し量ってみろよ〜!!』

何が何でも最後の直線まで吉沢君を連れて駆けてきてもらうため、
毎度ドラ声上げての指導です、

私の存在に気付いている吉沢君はチラチラこちらを振り返ってます、

『おい、晴山!おまえもいつかこういう日が来るんだ! 
どういう事してもらえたら 嬉しいか考えてみろ!、
2センターまで必死こいて引っぱってみろよ!』

なんともまぁ、野次にもならない自分勝手な理屈が出るわ、出るわ、、、
後から本人に聞いたことですが、この時吉沢君は隣の晴山に、
      『おい晴山、気にしないで自分の競走しろよ、』
             と、言ってたそうです、、、、、

とはいえ、29年間最後の競争を迎えた彼の気持ちを考えると、、、

私も、”これで引退、これが最後のお客さん、” となれば沢山過ぎていった
ことを思い返し、こみ上げるモノで前が滲み、見えなくなると思います。

       
『構えて!』、   ”パーン!!”  号砲一発、発走台から ゆっくりと9人が
散っていき、1周回ってくると、きれいな一本棒状態、



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とにかく黒の3番車晴山が最終4コーナーをハナ(先頭)で通過してもらうのが
吉沢君1着の大前提です。
1周目、前傾姿勢で正面を見据えペダルを漕ぐ晴山が近づいてきました、、

     『お〜〜い!! 晴山ぁ!! わかってんだろうなぁ!!』

フェンス越しに先輩が後輩に、上司が部下に命令事の確認をしている
ようなもんと想像してください、、  

走っている晴山本人にしてみれば 

『なんだよなんだよ、、 あの吉沢さんの友達はよぅ、、んな事、俺だっで
分かってらぁ、、ったくぅ、、 静かに見てろよぉ、、、、』

    こんなふうに呟きながらの周回だっただろう予想します、、

2周目、選手達は、それぞれの位置を固め静かに周回を重ね、3周目、
そろそろ動きが出てきました、、、
           ”くっ、、小塚、、、 おとなしくしてろよ、、”
小塚と晴山でしたら晴山の方が格上で、オッズを見ても晴山から売れて
おり、期待も高いようです、、、 しかし小塚の援軍は2人、こちらは1人、、、

すると、、、
スルスルっと青い4番の鈴木が先行しました、、 埼京ラインの仲間です!
埼玉の2人が風よけになれば3番手の晴山は、小塚が来る前にその2人だけ
捲ればいいわけで、もし先に後方から小塚が捲って来たとしても、横に並ぶ前に
発進して邪魔してやればいいわけで、こうなりゃ、晴山絶好の展開!!

よぉ〜おおし! 晴山3番手にはまれ! 鈴木駆けろ!! 小塚トボケろ!!


        そして、よっちゃん! 突き抜けろ!!!!!!



       さて、結果は、、、、、           こちら





競走が終わり鈴木も小塚も渡辺も、荒い息をたてながら、ゆっくり
流しています。
晴山と吉沢君が並走し何か話している様子が遠目にわかります。。
そして吉沢君にとって競輪選手として最後の瞬間が近づいてきました
終わりを告げる5レースの着順決定放送のアナウンスが始まり
29年間の想いが染み込んだ職場を去る時がきたようです、、

有名選手ならレース後、引退セレモニーがあるのですが、彼の場合
もちろんファンへの挨拶も花束贈呈もありません、、 そっと去ってゆく
だけです、、でも考えてみれば、彼に華々しい活躍はありませんでしたが
目立たず、出しゃばらず、忍耐の鎧を身にまとい、人知れず黙々と練習を
積みあげ、この齢(48歳)まで選手としてやってこれた生真面目さは
誰よりも私が評価していますし、玄人ファンの方達も全盛期の彼の
マーク屋としての仕事っぷりには唸るものすらあったと思います、、








そして、、真っ青に彩られた冬晴れの空の下、9人がゆっくりとこちらへ
向かってきました。
名残を惜しんでいるのか、瞼に焼き付けているのか、赤いユニホームの彼は
皆より少し離れ最後尾です、、、

『よっちゃ〜〜ん、今日までありがと! 長い間おつかれさん!!』

仕事柄、彼にとってあまり好ましくない競輪野郎の贈る言葉は、またも、
ありきたりのもんでした、、、

すると、3秒後、周りのオヤジ達もビックリするような事が起きたんです!

        『松ちゃ〜〜ん!! 遠いとこありがとう!!』

右の手のひらをこちらへ高くあげ、なんとバンクの中から、イチ観客の私に対し
名指しでお礼してきたのです、、

これにはたまげました、、、

    『オイオイ、いいのかよ、、 吉沢、あいつ懲戒モンだぞ、、、、』

『違うよぉ、あのあんちゃん友達だろ、、  吉沢今日が最後なんだよ、、』

私も、周りのオヤジ達も長い間競輪場通っていますが、金網越しに選手から
直に声かけられるのって、見たことも聞いたこともありません、、、、

すると、ゆっくりゴール前を流している彼に救護員達でしょうか、整列した
彼ら達からパチパチと大きな拍手が湧いています、
少なくとも彼らは知っているんでしょう、静かに去ってゆく選手の寂しさが、
そしてその心の隙間をほんの少しでも埋めてやれるものが精一杯の拍手
だということも、

寒風にあおられることなく敢闘門(選手の出入り口)に戻った吉沢君、
自転車から降り、競走が終わり誰もいない静かな観客スタンドに向かい
深々一礼して門の奥へと消えていきました、、

最後を見届け、気の抜けた心中に浮かぶ思いは、、

もう、ドラ声上げて声援することもありません、
邪魔者選手を恫喝することもありません、
(唸り飛ばした選手の方達、すいませんでした、、、)
楽しかった競輪をありがとう、、
最後に一言、、






季節は違えども、奇しくもあの日と同じ青い空、、、

あの時の光景と罵声はひとしお身にしみました。眼前の痛ましい姿の
競輪選手吉沢隆男は照れ屋の私にとって、決して口には出せぬ「強さ」
そのものだったような気がします。

そしてこの日、晴れ晴れしい引退の日に実は金網越しに伝えたかったことが
あります、

それは、15年前の千葉競輪での一件で叫んだ大声と一緒に体の中に
長い間腹の中に沈殿していた臆病の塊も一気に吐き出せたということです。
で、そのかわりに吸い込んだ罵声まみれの最悪の空気には実は勇気を合成
する成分が含まれていたということも伝えたかったんです、
なぜならあの日の帰るみちみち、君が立ち上がり進んだあの光景を
思い返すと、体の内に忘れかけていた自覚の念と負けじ魂がフツフツと
湧いてきたんです、、
まるで楠木正成が腹の中に住み着いたような感覚でした。
以来、自分で到底無理だと決めつけてた難題も両腕で抱え上げ、
最善の結果を果たすまで、放り投げずに付き合える辛抱強さを持ちあわす事が
できました。


そしてあの日から私の中で、
辛く苦しい時に踏み出す一歩が勇気という言葉の異名であるということが
心の奥底から分かったことも付け加えておきます。
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なんだか体が痒くなるようなガラにもないこと書いちゃいましたが、
そうめったにあるもんじゃないんでお許しを、、
世の奥様方や堅物の殿方達が蛇蝎の如く嫌う競輪で人生がプラスに向かった
珍しい例もあるもんで、せっかくなんで書かせてもらいました。

まあ競輪にしろコスプレにしろ冬山登山にしろ、何事も凝り固まった個人の
先入観が、内発的エネルギー覚醒のきっかけになりうるものを阻んでしまう
こともあるんです。

言い換えば、良きにつけ悪しにつけ人が熱を上げるもの何事でもその中には
生命力を活性化させる起爆剤があるんですよ、、




    (注、今回の記事は別に競輪を推奨するものではありません)











このままいても、どうせヤラれるんで、せっかく5000円ほど浮いてるんで
明るいうちからビールでも飲みますか!







じゃ、オケラじゃないけど、オケラバス(通称)で、、
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いい天気だこと、、
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さてと、ランチやってる蕎麦屋でもないかなぁ、、、、
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すぐさま発見!
吉沢君にメールを打ちながらググッと流し込み、『プゥ〜ハ〜!!』 と
至福の奇声を上げ、一人飲み会開始、
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蕎麦セット(780円) モリ1.5人前に、ミニ海鮮丼にヤッコ、、
随分とコストパフォーマンス高いランチだこと、、
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2軒目、、、   わかっちゃいるけど、、  止められない、止まらない、、、

大好きな昼酒ですが、どうもこれには内発的エネルギー覚醒の鍵は
無さそうです、
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競輪、昼酒、ハシゴ酒、、、
なんだか、ダメ人間のゴールデンコース、、

このあと樽酒が一杯350円だというので飲んだら旨いのなんのって!!
3杯いってしまいました、、
もちろん足元フラフラ、、
蕎麦屋と焼き鳥屋、2軒で浮いたお金5000円キッチリ使って20:00帰宅、、


家に着くなり家人が開口一番、

『よっちゃん、どうだった?』  

家内も吉沢君はよく知っています。朝出かける時に引退の旨は話して
おいたんです。 だから最後の競走、少しは気になるんでしょうか、それとも
私が万が一大儲かりしてたら、コーチのバックでも買ってもらえるかな、
などの期待を含めての問いかけだったんでしょうか?

『ダメだったよ、7着だったよ、、、』  

”あ、そうだったんだぁ、残念だったね” なんて返事がかえってくると思ったら

『ふ〜ん、なに? よっちゃんの頭で買ったの?』

何あたりまえのこと、訊いてんのかな、、 と、上着をハンガーにかけながら

『うん、最後の競走だもん、1着で華添えて感動の引退だろ、普通はよぉ、、』

              すると

『ところでさぁ、なんで、よっちゃん引退するか知ってる?』

          『えっ? なにそれ?』

この引退に隠された大きな秘密でも知ってるのかと思いきや、

『なにそれって、そんなの1着取れなくなったからでしょ、1着取れるんだったら
引退なんかするわけないでしょうよおぅ、、、  』

ふんふん、なるほど、、いわれてみれば、、、  しかし!、切り返した文句は、、

『馬鹿モン! 引退の花道は1着なの!!!』

『じゃあ、なんで7着なのよ! ええ?!!』

『いや、まぁ、そ、そのぉ、、  なんでだ??』

なんて答えていいのか口ごもった刹那、

『引退する人にお金は必要だけど、点数(競走得点)は必要ないでしょう、
だったら残る若い子に高い点数取らせてあげるのが先輩からの置き土産
じゃない? ましてや、1着取れる力もなくなってきてるんだし、、違う??』

んんん〜〜っ、  なるほどぉ、、、  感心していると、続けざまに、

『そう考えれて1車外せば絞れるでしょう、それによっちゃんの性格からして
立つ鳥後を濁さず、じゃないけど最後に変な競りなんかするわけないんだから
捲くってこられたって、張らないよぉ、 そんなことして万が一失格なんか
もらったらそれこそ引退にケチがつくでしょうよぅ、
前(先行屋)だって捲くりに回ってよっちゃん切れちゃったら(千切れたら)
悪いから駆ける(先行する)に決まってるし、
かからない限り(スピードがのらない限り)、頭はまず無いよ、、
だったら別線(他のライン)買ったおうがよかったんじゃない?』


        『、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。』


す、凄い!まさしくそのとうりです、いや、まさしくそのとうりでした!
おまえ競走見てたの? もし見てないで今のこと言ってんだったら
競輪の神様と認定し拝ませていただきます!!


やはりギャンブルに関しては、男はロマンと感動を追い続け、女は
現実と現金を見失しなわない頭の構造になってるんだと、つくづく感じた
掛け合いでした、、、、。


                当分競輪は、やめよ、、、






| 店長の日本一ためにならない話 | 17:35 | comments(2) | -

地縛霊一本釣り



私は常々自を戒しめています
人とは、苦し紛れに呟こうが、うっかり口が滑ろうが、
たとえどんなちっぽけな理由であれ、人前で一度口に出した言葉に対し
責任を持つということが社会人としての約束であるということを、、
そして、その約束を必ず守ることが人と人を結ぶ ”信用” という
礎になるということも、、

だからこそ ”言行一致” は座右の銘であり、断固、突き通さねば
ならぬ私自身の ”巌の誓い” でもあるのです。




先月、このブログを見てくれている5丁目のKさんと中根台食堂で
飲んでいたときのことです。

Kさんは、とっても酒好きで、よく誘い誘われ、何かと気の合う10年来の
友人であり、地元(久保台)の自転車チームにも所属しているので
酒のうえでの話題には事欠かない大切なご近所さんなのです。

「最近どうよ?」 みたいな感じで始まり仕事や子供、共通の知人の話、
いつもの定番メニューの話がだいたい終わると、やはり気になるんでしょう
話題は富士理容館ブログの筑波山ゴーストバスターに流れついたんです。

まぁ、自分としてもこれは”言行一致”の信念からすると、
絶対遂行しなくてはならぬ義務であるとのことを説明し、
「そんな大げさなもんじゃないから」 と力説、
もちろん取りやめる気は露ほども考えていません、 で、し、た、、、

『ぬぅわぁ〜あに、心配しないでいいから、地縛霊なんか
モンゴリアンチョップ決めて、ブルドッキングヘッドロックからの
ピンフォールの3カウントよ!!   ウィ〜ッ、  ヒック、、   』

酔っ払って、もはや戦い終わった桃太郎状態でした、、
        猿も犬も鳥もいないのに、、、

そんな私にKさん必死の忠告、それも新事実発覚、

『松本さん、あんなとこ絶対行っちゃダメだよ!あそこ、その昔、
人が入ってこないっつう理由で抗争とかで殺された人、ずいぶんと
いるらしいよ、第一、そんなヤクザな怨霊相手に関わりあって
憑依されたら無事帰って来れるわけないよ、、、、』

どうやら自転車チームにその旨詳しい人がいるようです、、

   『へっ、? なにそれ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、?』

それって、心霊スポットを通り越してひょっとして悪霊の巣窟、、?

なんだかとってもデンジャラスな展開が待ち受けているような、、、



憑依されて気が狂ってしまうんじゃないかとの恐怖感と 
”巌の誓い” を突き通さねばならぬ義務感、猛烈な葛藤の中、 

               それでも、、、








             




行ってきました、地縛霊一本釣りに!!





わかりきったことですが、やっぱり一人での出発でした。
昨年、霊に引っ張られたリュックの中には法華経経典、
メッセージ用の紙とマジック、右手に”お徳用大袋食塩” 
左手には”必ず証拠写真を撮ってきます”との約束を果たすために
三脚を握りしめ覚悟の一枚、

この時はもう帰ってこれないんじゃないか位の悲壮な決意での撮影でした。

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写真は学園西大通り、
国交省の土木研究所あたりを過ぎると筑波山に向かっての一本道です。

なんというのか、行きたくないと云うか、気が重いというか、、、

私の人生の一例でいうと、こう、、
中学1年の時に威張ってた奴を今日こそブッチメないと自分の
ポジションが危うく、覚悟をきめて学校に登校する朝というか、、
       (ちなみに返り討ちにされました、、、)

初めて女の子に ”好きだ” と打ち明ける決意で、単調に動くつま先
を俯き見ながら歩いた中学2年の秋、、、
     (もちろん撃沈、、、、舌噛んで死んでやろうかと思いました。)

雇われ店長時代、私を慕っていたスタッフがいたのですが、ある理由で
そのスタッフに解雇を告げねばならない日の出勤途中というのもありました、、
       (これが一番辛かった、、、)

皆さんもこんな憂鬱極まりない朝、経験があると思います、、
                 それに似てる、、
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見えてきました。向かって右のとんがりが女体山、左が男体山、
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不動峠へ向かう途中の北条大池、水面が見えないほど蓮が池に
浮かび尽くしていました。

ここは有名な桜の名所でもあり、その季節、池の周りは明るい桜色一色に
染まる風光明媚な観光スッポットなんです。

ここを過ぎると不動峠の入り口となります。
      きょうはどの位、体育会系サイクリストいるかな?
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いるわいるわ、画面の自転車、平均6%の勾配を時速20キロ近くの
スピードで上っています。   これだと15分台?  これはスゴイ、

それよりも下ってくる自転車、危ない危ない! すごいスピード、、
車がカーブが近くにさしかかると、いきなり目の前に現れ、
突っ込んでくるのではないかとヒヤヒヤします。
ここ、自転車に限り上り一方通行にした方がいいですよ、

近隣の方、これじゃ、この道運転するのさぞかし怖いことでしょう、
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だんだん山深くなってきます。
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20キロ以上は出しません。
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不動峠10%標識、これがゴール近しの目印、

       あ、今日はそんなこと、どうでもいいんだったっけ、、、、
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そして尾根づたいを通る表筑波スカイラインを風返し峠へ、
このあたりから背中がピリピリし始まりました、、、、
             なんだろ?
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風返し峠も過ぎ、11か月ぶりの湯袋峠へ、

もう、ここまで来たら引き返せません、引き返しません、
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真壁へ向かう山道、つくば市から桜川市へと、
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そしてとうとうその場所へ、

するとなんでしょう、悪霊道路の入り口に一台の先客が、
ま、まさか自殺志願者?

いやいや車中でカップルかオドオドしていました、、、、、、
さすがにこんな山奥、人が来るなんて思ってなかったんでしょう、、
        すいません、ごめんなさい、、、、、

状況が情驚だったので写真を撮っていいものかと考えたんですが、 
”必ず証拠写真を!” なんて言った以上、撮らないわけいかず
ストロボを切って車内の撮影、 もっとも、こんな明るかったらストロボは発光
しませんが、、 なぜかナビに発光体が映ってる、、  こんなの間違いなく
ルームライトの幻影と片付けていたら後日、角度上写るわけない事が判明、、
というよりもこの時、エンジンかけていたんでDVDの映像が流れているはず
なのに、、、、、?



もうここまでくると、引くに引けません、こうなりゃ本当真面目に

      「おい、地縛霊こんちくしょう!、さっさと出てきやがれ!」   

この気持ちにたどり着けたのが後々幸いしたとおもっています。
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さすがに三脚持って自転車は乗れないので、リュックを背負って
地縛霊を探しに山奥へと漕ぎ始めました。
もちろん法華経経典はポケットに、塩はリュックに忍ばせて、、  
          (塩が重いのなんのって、、)


道路の入り口です。 1年近く経って、なぜか車止めが外されていました。 

もはやこのあたりから山奥独特の重く湿った空気が漂い、あの日と同じ
匂いが、鼻から目の奥に滲みこんでいくようです。
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しばらく行くと澄みきった清流、
思いつめた人はきっと、このあたりで首を吊るんでしょう、、




         えっ、 なんでそんなこと解るんだって?





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          だって、左側にこんなもんあるもん













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青いジャケット着た地縛霊のオッサンとの再会を求めて、下っ腹に
気合を込めてペダルを回し、もっと山奥へと上り進んでいきました。

               怖くなかったのかって?


そりゃ、怖くないわけないじゃないですか、、

ちょっと矛盾しますが、実際なんかこう、進まないと、向かっていかないと、
闘志を湧き立たせ続けていないと、絶対すぐにでも囲まれちゃうなって、
生き物としての本能を感じるんですよ、          2011_0531_083023-IMG_0696.JPG






こんな山奥、茂みの中に2〜30メートルも入って死ねば23世紀あたりまで
発見されないでしょう、、、、。
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ちょっと、ビビっちゃったんで、このへんでオシッコ、、
そして初めて一言、発しました。

     『おい、いるかぁ、? いるんだったら出てこいよ!』

返事はザワザワとした枝の揺れる音だけ、、、、、、、
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たしかこのあたりでした、遭遇したのは、、

考えてみればそりゃ、おかしいですよ、こんな山奥に早朝一人で
ジャケット(ブレザー)羽織ってフラフラしてるオヤジなんて、

大体、こんなとこロードレーサーで上ってくるのですら一苦労なのに、、

1年前と違い今日は根性きめてきたんで出てきたら即、シャッター切れる
ように右ポケットにデジカメのレンズ出っ放し状態でスタンバイしながら
自転車漕いでたんです。
しかし、こんな時に限って出ないんですよね、、

    『お〜い、モンゴリアンチョップしないから出てこいよぉ!』

                    胸の奥で小さく叫びました。
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あ〜あ、1年前、怖くてここ泣きながら上っていったよなぁ、、、、
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やっと頂上に到達、
このあたりから振り返ったら、別のオヤジ霊がフラフラ徘徊してたんです。

   ”いったいこのあたり、どんだけ地縛霊いるんだよ、” とポツリ、

それよりも、よくもまあ単独一人でこんな心霊スポット乗り込んできたと
我ながら感心しました。
しかしながら地縛霊の姿をデジカメに収めるまでは、
まだまだやることがあります。
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やはり、霊が一番密集しているのは、きっとあの仏像近辺でしょう、
だったら、あのあたりで誘い出しますか!

とりあえず車と三脚のある入口まで行かないと、、、

細心の注意を払い、山道を引き返し下っていきます、
なぜそんなにも注意を払わなければならぬ理由は、
下り山道でひっくり返り、怪我して動けなくなり、弱気になった
その時、ウジャウジャと地縛霊出現し、あっち側へ連れていかれる、、
これが彼らのお決まりパターンと予想してたんで、、

ほどなくして昨年、地縛霊オヤジとすれ違った地点にさしかかりました。
せっかくですんで、自転車から降りて証拠写真を撮っていたんです、、、、



すると、なんでしょう、、 鬱蒼と茂る木々から浸み出る、べっとりとした
山特有の湿気が鼻の粘膜にへばり付き頭の中に侵入してきました、、、

マイナスイオンのように体に味方してくれる空気と違うというのは
はっきりとわかります。
なんだかこの匂いを嗅ぎ続けると、沸き立つ生命根源の力が
吸い取られるような、勇んでいた自分のヤル気が萎んでいくような、
つまり、精気が抜けていくのが感じ取れるんです。

分かりやすく説明するならば 猛烈な鬱状態のまま
”立ちのぼる霊気” に体を覆われ、それを発している ”山という環境自体”
の逆らえない力によって精神を支配され、無力になっていく自分の生命が
そこに引きずり込まれ、そして、その ”山という環境自体” の一部として
自分が溶けていってしまう、、  
  
怖い譬えですが、絶対に戻ってこれない大きな鏡の中にフラフラと入って
しまう、、まぁ、これ死んじゃうということなんですが、これが最適の表現です。

        早い話、本当、死にたくなっちゃうんですよ、、

今になって思い返すと、この時が一番危なかった、、
今ここでキーボードを打てるのも、あの時、絶対に怯えないでその時の
状況をはっきりと覚醒した意識で密に分析し、霊気に吸い込まれない
精神エネルギーの量を維持できたからだと信じて疑いません。

ここで、忠告です。 このコースは肝試しや罰ゲーム等、興味半分で絶対に
入ってはいけません
。 なぜなら真面目な話、たとえこのあたりを大人数で
行動してたとしても、 たった一人でも 「怖い!」 
と感じてしまった瞬間、一瞬にしてその一人の波長と取り巻く霊気の
波長が融合し、山自体の生命と同化してしまいます。

ここで言う ”山自体の生命” というのが、いいものだったらいいんですが
そうとも限りません、むしろ、この場所に限っては邪悪な霊気の集合体と
断じても、さしつかえないでしょう。

そして恐怖というものは伝染します。その一人が恐怖のあまり錯乱状態に
なってしまうと、あっという間に皆パニックになってしまいます。
すると、必ずおかしな行動に走る者が出て、結果、誰かしら内面意識に
異常をきたし、とんでもないトラウマとして心の根源に張り付き、以後
精神崩壊をひきおこします。
こういう話、枚挙にいとまがありません。
それほど沢山、聞いています。   そして、、知っています、、、。



そういうことで、47年間、心霊経験童貞だった私が確信込めての一言、
                   ↓ ↓
もう一度言います、恐るる心を持つものはここに踏み入っては
いけません!





その理由を勝手に考察しますが、そもそも地縛霊ってのは環境に
溶け合っている、まさに自然環境(地球の一部)の境地が、怯えている
精神状態の人間の波長に感応して顕在化(実体はないですが)したもの
なんじゃないでしょうか?

なぜなら、このあたりで精神研ぎ澄まし、あたりを観察していると、
常に刻々と変わる私の生命状態に比例して山(おかれている環境)の
空気や表情が、私の真似をしているかのように変化していること
がわかりますもん。

だからこそ、人間の表面心理状態と環境の波長とが一致した時、
たとえばそれが恐怖心であれば、その権化として霊の姿をとって
浮かび出てくるものなんじゃないんでしょうか?
(例、テレビ電波が霊や幻、テレビチューナーが人の心理状態、
目がスクリーン)

よって、ここは重苦しい波長の割合が極めて高い場所ゆえ、
危険と判断します。


その反面、”ケンカ上等!” なんて修羅意識状態の時には決してここの
地縛霊は感応しないんです。 (関ヶ原や寺田屋跡あたりは危険かも)

そうなるとここの地縛霊って実は何かに怯えてんじゃないのなか?
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今でこそ、そう心で理解できていますが、この時はそんな場合じゃありません。



        ”怖がってはダメ、怯えちゃ命とられるよ!”

そう言い聞かせながら、気合十分、車の元まで戻り三脚持参で今度は徒歩で
また山の中へと入ります。
仏像を過ぎたあたりで、三脚をセット、仏像の向かいあたりに、いっぱいいそう
なので、地縛霊の一本釣り開始。
絶対怖がらぬよう、まずはアニマル浜口並みに気合注入

        気合いだぁ!、気合いだぁ! 気合いだぁぁああ!!

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とはいえ、いきなり戦闘モードじゃ失礼です。 モンゴリアンチョップや
水戸泉流塩ぶっかけ、法華経ハリセン、これらは最終手段、 
ハト派の私は、まずは対話から、 優しく地縛霊に問いかけます

何故?、どうしてあんな事したの? 辛いの? 寂しいの? 
         何か伝えたいの? 

とりあえず出てきてもらって、話を訊かない事には、、、
もし、何か天に昇るために役に立つことがあるんだったら相談のるよ、、







                 数分間、、反応なし、、、、、、




     



             「じゃあ、文字にしてみるか!」、





     リュックから紙とマジックを取り出し、メッセージをサラサラ










             ちょっと横柄な誘い方かな?










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清流側(仏像の向かい、つまり首吊り多発地点)へ、これを向けて、ボ〜ッと
立ってたんです。

                   5分経過、、、、
                     ↓
                   10分経過、、、
                     ↓
                 まだ出てこない、、、、

                

                  はぁ〜〜っ、、、







     


       なかなか出てこないので笑顔で誘い出します、、

「おいでおいで〜っ!、、おじさんは、怖いおじさんじゃないからねっ、、」
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なかなか出てきません、、、、  きっと、地縛霊の皆さん達、

『おいおい、なんだかとんでもない馬鹿が来てるぞ!かかわっちゃダメだぞ!』

なんて、ささやきあってたんでしょう、、

今になって、よくよく考えてみれば、こんな地縛霊の巣窟に一人で来て、
『出てこい!』 なんて挑発してるフレッシュな馬鹿、マンガの世界でしか
知りませんよ、、



                 すると! 


               
なにやら森の中で何かが光っているものが見えました!

           あっ、とうとう来たな、、、

正直、一瞬体に ”スワッ” と寒気が走り、ちょっぴりチキン肌、、、
三脚のカメラをそちらへ向けシャッターを押すもなぜかピンボケ、、

もっと大きな光でしたが写真だと木の幅位にしか写っていません、
そのかわりに、その右下になにか黒い長方形のものが浮かんでいます。
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三脚持って小走りに近づきシャッター切るも、全部ピンボケ、、、、

なぜかこちら側を撮ると全てピンボケ、、、
結局、自殺の名所のまともな写真は撮れませんでした、、、
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              今度のメッセージはこれ、
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出てこない、、、、

なんだよ、せっかく対話を申し込んでるのに、、、

          だんだん飽きてきました
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       じゃ、しょうがないな、最終手段、憑依志願、

今日、飲みに連れて行ってあげっから、ついてこいよ、いや、憑いてこいよ!
辛くて寂しいんだろ? よっしゃ! 奮発して松戸のフィリピンパブでも行くか?
なんだったら、陽気なおねえちゃんに俺の肩のあたりでタンバリンの乱れ打ち
してくれるよう頼んであげるから、それで少しは元気つけてくれよ、、 

えっ、何? 静かなとこがいい?   だったら養老乃瀧のカウンターだな、、、

       心配すんなよ、法華経回向してあげっから、、、、

 こんな独り言をブツブツ言ってました、、   これって憑依された、、、?
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じゃあこのへんで今回は私の勝利っつうことで、おひらきにしますか!

あっ、そうだ!  マルモリ踊らなくっちゃいけないんでした、、
とはいえ、マルモリのポーズしか知らないんで、どうしよ、、、





それなら代わりに ”勝利のコサックダンス” に、しましょう、、


ところが47歳にもなると足がヒョイヒョイ動かない動かない、、

              『ん〜〜〜っ、ホッ!』

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           『ク、ク、クッ、、、 ホッ!』

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             『フゥン〜ム〜ッ!   ホッ!!』

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                だめだこりゃ、、、

せっかくの勝利のダンスも体力無くてはサマになりません、、、、

こんな山深い心霊スポットで単独コサックダンスしてる47歳、、、、

   間違いなくメルトダウン級の馬鹿ですね、、、、
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なんて思ってたその時、事態急展開!!








       ここからのことの真実は私もよく分かりません、、

けっして、このブログを面白おかしくしたいがために仕組んだヤラセでも
オチをつけるために作ったシナリオでも何でもないことをここで固く誓います。





        来たんです、来たんですよ!それも歩いて、、




それは、コサックダンスも終わり、時間潰して蕎麦でも食べて帰ろうか、、
リュックの塩も法華経も使わず、ホッとしながら三脚のカメラを
取り外そうとした瞬間、現れたのです。 

全くといえるほど音も気配もなく気が付いた時、その老人はそこに
いたのです。

青いジャケットならぬ薄い青のシャツ、恰好は今の季節に合ってます、
人、人ですよ、間違いなく生きた人間ですよ、 


        クゥ〜ッ、香ばしい展開になってきた!


             『こ、こっ、こんにちは、、、、』

本心を言うなら開口一番 ”あの〜、地縛霊さんですか?” 
               こう訪ねたかった、、、
                 
       すると、  『なぁ〜にやってんだ〜ぁ?』

        おいおい、そりゃぁこっちの質問事項だよ、、

  『いやぁ、以前、幽霊に遭遇しましてね、また会いたいと思って、
              おびき出してたんですよ、』

        クッ、正直に答えてしまった、、、  すると、

          『どっがら来たんだぁ?』

           教科書のような茨城弁

             『龍ヶ崎です。』

        『仕事はなぁ〜にやっでんだぁ?』

              『床屋です。』

      おいおい、なんだよぁ、こんな山奥で職質かぁ? 
 
    『おじいちゃんは、よくこのあたり来られるんですか?』

こういう場合、会話の主導権をとり、尋ねる方か優位になります。

          『い〜ゃ、こ〜の辺、好ぎでよぉ〜、』

          ふ〜ん、こんな自殺の名所がねぇ、、、、、

 『そうですよね、空気もいいし、 (いいわけねえだろ、)  ところでどちら
にお住まいなんですか? (仏像の裏の山ん中なんて言うなよ、) 』

           『まぁがべぇだぁ、』⇒『真壁だよ、』

  『ああ、じゃぁ近いんですね、(山里まで3キロはあるわ!) この暑い中、
           いつもここまで、どうやって来てんですか?』

 ハイカーの立ち話を装い、徐々にプライバシーの絞り込みにかかります。
(歩いてなんか絶対来れないんで ”車” と答えるでしょう、
そしたら車止めがなくなった今、何故、車で入らず、この辺にいるのか、
と、次の質問、もう用意、)
                 するとやはり
            
          『い〜ゃ、車でぐるしかあんめよぉ、』
                   ↓↓
          『車で来るほか、方法が無いんだよ』

       ビンゴ!  よしっ、こっちのレールに乗った!

        『ですよねぇ、、 そういえば車止めがなくなっ、、、』

             と、話していると会話を切断、

         『い〜ゃ、あんちゃん、そぉ〜れ、よくでんのけぇ?』
                    ↓↓
         『ところでお兄さん、それ(幽霊)は頻繁に出るの?』

   あ、ありがたい、最終質問迄のプロセス、ショートカットしてくれた!!           
             いよいよ会話の核心に突入です。
             
 『いやぁ実は、おじいちゃんと会った時、びっくりしましたよぉ、(これは本当)
     まさか、こんな山奥で人に会うなんて思いませんもん、、』

”おい、そろそろ正体明かしてもいいんだぞ、今更驚かないから、、”
    もっとも今回の目的は対話をしにきただけなんだから、、、
  テレパシーが通じることを願って胸の奥で、つぶやきました。
              すると

『いーや、そんなことねえぞ、よ〜くぅ歩いてんぞぉ、(だからそれが
幽霊なの!)俺もな〜がいこど歩いてっけどぉ、幽霊なんて見たことねえど、、 
なあ、あんちゃん、んなもん怖がんなぁ、出たら出たでしゃんめ、(出たら
出たでしょうがないよ) 』

ん〜〜っ、はっきりした音声だし肌艶も血色もいい、混じりっ気のない
訛りっぷりからしても地元のおじいちゃんですね、、

それよりもまさか御老人が出てくるなんて、こんなストーリー完全に
予想外です。これじゃぁ、たとえ地縛霊確定しても、
こんなおじいちゃんに対してモンゴリアンチョップも塩もハリセンも
絶対出来るわけないですよぉ、、、、

それはそうと、おじいちゃんとの会話中、ずっと気にしてた事があったんです、
もちろんそれは他ならぬ写真の心配でした。、、
幸いにまだ三脚にデジカメ付きっぱなしだったんで私が提案しました。

『私、この道で初めて人に会ったんですよ、どうですか?
記念に写真撮りましょうよ』
           
          『い〜ゃ、なんだが恥ずかしいなぁ、、、』

これまた幸いにセルフタイマーのポジションだったので即完了、

              
                 ↓ ↓ ↓





再度はっきり言います、本当に作り話なんかでは一切ありません。
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       そして、おじいちゃん帰っていきました、、、、


                えっ?





                えっ?

IMG_0954.JPG



        あれ、おじいちゃん、どこに向かってんの!

そっちはこの山道の入り口だよ、、、、、  逆でしょ、逆、今から散歩でしょ、

          せっかくきたのに、もう帰っちゃうの??

            いつも歩いてる大好きな道でしょ、、

             だったら間違えるわけないか、、、、

                 ちなみに、そっちに向かうって事は、、




  山から下ってきたことになるんだよね、、、、








あの〜〜、私、ものの30分位前、峠の上からの
一本道ここまで自転車で下りてきたんですが、 






おじいちゃんと
      会ってないんですけど、、、、、













        ま、いっか、、、
               久々、蕎麦でも食べて帰るか、、、、、、、










1年ぶりに山麓の蕎麦屋にきました。
いつもは、1000円以内におさえるんですが、この日はやっと気になっていた
ものが終わった安堵感から、ちょっぴり奮発した昼食、
天ぷら定食、これにミニ蕎麦ついて(1200円)
IMG_0971.JPG



この日の夜は約束通り、地縛霊連れて(憑れて?)柏の銭湯行って、地縛霊と
入浴、そのあと安居酒屋のカウンターで今日一日の出来事をどうやって
ブログで説明しようか地縛霊と相談しメモをとり、ほどよく酔いも回ったあたりで
仲良く帰宅、

そして次の日の朝、仏前で法華経を読誦、耳の奥からの聞こえた小さな
耳鳴りが無くなったとこみると、きっと天に昇っていったんでしょう、、
こうして1年近く悶々としていた問題もなんとか納得した終わり方となりました。



どうでしたか、ここ1か月間グログ更新してなかったんで憑依されて狂い死に
しちゃったんじゃないかと心配された方もいらっしゃったんじゃないでしょうか?
いえいえ、相変わらずみんなでワイワイ騒ぎながら楽しく仕事しています。
そしてまた、小鳥のような小心者に戻って毎日をすごしています、、、



    あっ、明日は水曜日か、、お店忙しいだろうから、張り切って
          仕事しますか!!






| 店長の日本一ためにならない話 | 14:32 | comments(1) | -

報復準備

 

ずいぶんと物騒な題名ですが、これを期待していた方も多いと思われます。

最近知った事なんですが、この富士理容館ブログのアクセス数が
2か月前まではだいたい1か月に800人位だったんですが、ここ1か月半で
3000近くまで上がってきているんです。

書き始めた頃は、「どうせ、同業者が分割料金やシルバーサービス等の
キーワードで手の内調べて、そのオマケで覗くくらいだろ、」
と見込んでいました。
事実、当初は、まさしくそのとうりで、アクセス解析した結果を見てみると 
日中での検索がほとんど、、、その内容も ”カットのみ料金” や 
”学割サービス、理容” はたまた ”ブロース総鋏料金” 
(ブロースなんて言葉は一般の方は絶対知りません) 

こんなのばかりですもん、それはもう、がっかりでしたよ、、
まったくもって、うちの料金は同業者には有名になってるはずだとおもいます。

その反動でしょうか、狂ったようにサイクリング記事を書き続けた結果、
近頃は ”八丈島サイクリング” や ”乗鞍エコーライン 自転車” などで
検索すると一番上にきてるんです。
それでも1か月に1000アクセスには届きませんでした。
         
ところがです、7月からですか異変が起きたのは、、
きっかけはどうもあの ”筑波山に行かなくなった理由” が原因なんじゃ
ないかと思うんです。
なぜならあの記事をアップしてからというものジワジワと伸び始め
3ケタがザラになってしまったんです。
検索キーワードからの数はほとんど変わってないのにアクセス数が
増えてる、、
となると、毎日チェックしている人が多いというのは容易に予想がつきます。

しかしながらその反面、ゴーストバスターに名乗りを上げる方は残念ながら
いませんでした。

      あたりまえか、、、、、   下手したら憑依されるんだし、、、

だからといってそれを理由に取り止めるなんてそんな野暮っちいことは
一切言いません、
もともと何をするにも一人が好きな私です。山奥の心霊スポットに単独
乗り込み、地縛霊に説教するのも自分のなかでは、ある意味、趣のある
休日の過ごし方かもしれません、 逃げる気持ちは全くありません。

よって、一人で行ってきます、、  必ず証拠写真を撮ってきます。
運がよければ地縛霊の姿を公開できるかもしれません。

それよりも、皆さん気になるんですかね、私がどうなってしまうのかが、、、、
憑依されるか、祟られるか、はたまた、発狂し、不慮の事故であの世行きか?
まぁ、私自身ですら、どういう結末になるんだか全く、わからないんですよ、、 





ただひとついえることは、あのへんの地縛霊は、自ら命絶つほどですもん、
相当辛い事情があったというのはよく分かります、、
天に上る時がくるまで、そっと静かにしてあげようとも気持ちもあります、、

しかしですよ、だからといって、この娑婆世界に怨みや後悔、未練をもって、
留まり、ただ自分達のテリトリーを通過しただけの、何も知らない、
何の悪さもしていない生きた人間に対し無差別に危害を加えるなんて、
非人道的(人じゃないか、)な行為、
閻魔様が許したって床屋のオヤジが許しません!
と、なると、以後、善良なサイクリストの安全を守る為にも、私の汚点を晴らす
為にも、ここで鉄槌を下さねばならないということです。


ま、いずれ誰がやらねばいけないんでしたら、こんな面倒くさい事、
私がさっさと終わらせてサッパリさせてあげましょう。 
       (正直言うと、ちょっと怖いですが、、、)

ところが幸なことに、自分で言うのもなんなんですが、、
私、精神世界での交戦なら極めて戦闘能力高いとの自負があるんです。
特に、火花散るようなピリピリした心理戦でしたら
悪霊の通力をも凌駕するほどの強烈な精神エネルギーで、たとえ相手が
この世の者でも無かろうと、ねじ伏せる自信があるんです。
          もっとも、体力勝負なら最弱ですが、、


そんなことよりも方法ですよぉ、古今東西、地縛霊に絡まれた事に腹立てて 
”ブッチメてやる!” なんて息巻いてる馬鹿、当事者の私ですら
知りませんもん。

ではいったいどういう段取りと手順で地縛霊を懲らしめる策があるのか
ここで検討してみましょう。

とりあえず解かっていることは、

1、 湯袋峠入口から峠までの間にいいる。
2、 氷のような冷たい空気を押し付けてくる。
3、 引っ張っる力くらいはある。
4、 オヤジである。
5、 法華経に弱い。

1に対しては、これはもう私が出向かなければ話になりません。けれど
こっちのフィールドに連れてくることができれば、有利に、、、
(なるわけないか、、  憑りつかれ状態になっちゃうか、、)

2の問題の対策としては、なるべく厚着をしてガスバーナー持参と考えて
いたんですが、万が一、人間に出くわし、通報されて桜川署行きになったら
と考えると、それこそこっちが地縛霊志願ですな、、、、   

3、いよいよとなれば地縛霊と相撲を取ってやる!  (のど輪は禁じ手かな、)

4、私も47歳のオヤジなので、結構、話を聞いてあげれば成仏するかも、、

5、唯一の必勝アイテム、地縛霊もお釈迦様の肝心にはタテつけないでしょう、











では準備にはいります。

やはり邪悪な怨霊と戦うとなると塩ですかね、、
IMG_0974.JPG




我が家の台所の床下収納から、お徳用大袋を使いましょう、これは
地縛霊と再会の際に、対話を拒否された刹那、茨城県出身力士、水戸泉ばり
の量をぶちまけるためです。それにはやはり大袋ではないといけません。
IMG_0975.JPG




法華経経典、とても畏れ多いものですが護身用として持っていきます。
扇子のような形をしていますので、いざとなったら、チャンバラトリオの
化身となってハリセンでの一撃でお仕置きです。
IMG_0976.JPG





このくらいしか頭に浮かばないですけど、ま、出たとこ勝負でしょう、、

次のブログ記事が書けていれば、なんとか無事に帰ってきたということ
になります。





         さっ、てっ、とぉ、  発泡酒でも飲んで寝ますか、、、







| 店長の日本一ためにならない話 | 18:34 | comments(2) | -

筑波山へ行かなくなった理由






前回、輪行レポートをお楽しみに、、、 
なんて書いていましたが、その前に小心者の私が体験した
えらく不思議な話を聞いてください。
ちなみに、感動的な話なんかではなく、ちょっぴり怖い内容なので、
深夜および静寂の中では読まない事をお勧めします。







茨城が誇る霊峰筑波山、我々県民にとって、関東平野という
悠久の大地を母に例えるなら、さながらこの堂々そびえる秀峰は、
悠然さ、堅固で不屈、、 
いうなれば泰然自若の象徴であり、これを父と見なして
何の異論も不思議もないはずです。

晴れた朝、我が家の窓から淡い稜線が眼に入るたび、
溢れんばかりの生命力を与えてくれる筑波山はまさに県宝いや
国宝といっても差支えないとおもいます。
つまり ”日本人の心のよりどころ” 
こんな言葉がピッタリの神聖な山なんです。

          ”あの日” までは、、、、、、、、


これだけの美辞を並べるほどです、”あの日”までは筑波山が好きで
好きでたまらなく、休日はそれこそ夜明けに合わせ車を飛ばし、
森林浴を兼ねた早朝サイクリングがこの上ない楽しみでした。

では何故、好きじゃなくなったって?
いやいや、嫌いになった訳ではないんです。   
怖くなったんです。
とっても恐ろしい体験をしてしまったんです、、、
2011_0329_115436-IMG_0616.JPG




月曜の夜、天気予報を見てみると翌日は一日中晴れマークでした。
もちろんその日は早めに布団へ潜り込み、翌朝4時に起きだし自転車を
車に積み、急いで筑波山へと向ったんです。
急いだ理由というのは、どうしても暗いうちに山麓に到着し
薄暗いうちに走り始めたかったんです。
なぜなら、そのコースは自転車乗りなら誰もが走る、いや、走らなければ
ならないコースなのです。何故ならその峠を登りきるタイムが
各々の脚力スコアになり、『不動(峠)はどのくらい?』 この問いにより、
見栄を張っても謙遜しても、だいたいお互いの力が分かる、
早い話、脚力を計る物差しのような走路(一般道ですが)なんです。
だからこそ体育会系サイクリストにとっては練習場、
一般サイクリストには試験場みたいなもんです。

それほど皆が走るメジャーなところゆえ、たとえ平日といえども
明るくなると大勢の人がタイムを競って爆走するのです。
私はというと、はなっからそんな気の無い、のんびりサイクリングなので
彼らと重なりたくないのです。なぜならお互いに邪魔な存在だからです。


”その日”は六時前には山麓に到着し、リュックを背負い
足早に踏み出しました。
10月初旬の夜明けとは、遅いわりにはまだ風は冷たくなく透明な秋の
涼気が暗闇を徐々に浄化し、朝陽を呼び寄せているような、そんな
心地良い時間帯であり、樹々の吐き出すマイナスイオンを胸一杯に
吸い込めば登り坂でも足どりは軽いもんです。
そして、なによりも機嫌が良かったのは、私の他、誰もおらず
人気の道路を独占できてたのも理由でしょう。



その”不動峠”を無事登り切り、いつもは八郷方面に下るのが定番
なのですが何故か ”その日” は尾根づたいに加波山まで行こうと
表筑波スカイラインを走り、風返し峠から真壁に向かいました。
その頃にはもう完全に陽は登りきっていて微かな風吹く爽やかな
朝になっていました。 (六時半位でした。)

十五分ほど進むと”これより桜川市”の看板、
ほどなくすると右側に山道の入口があるんです。
山道とはいっても完全舗装されているのですが、環境保護の
為でしょうか、車止めがあり四輪車の進入を拒んでいます。
もっともそこは、大量の落ち葉や小枝が道を覆ってしまっている箇所が
多数あるので、車どころかバイクや体育会系サイクリストにも不向きな
山道となっています。
だからでしょうか、何度も走りましたが誰とも会う事なく、
いつも私専用道路のようでした。
よって、フラフラ走る私にとっては登り坂とはいえ絶好のコースであり、
なお嬉しいことに道の右手には驚くほど澄んだ清流が流れ
目を楽しませてくれていたんです。

             あるひとつの物を除いて、、、、、

それは、その山道を入った左側に小さな仏像(観音像?)なんです。
なんでこんなとこに?
目にはいるたび横目で見てましたが、けっして落ち葉等をかぶってる
ことなどなく、常に誰かが手入れをしているというのは明らかでした。
そしてどういう訳か清流の方を向いているんです。
近くにいってみると何とも不吉な感じのする場所なのです。

場違いな物、、   あまり気分の良いもんではありません。
(しかし、この話を進めていくとその仏像の存在に納得がいきます。)


その日は山道に入った時にはたぶん朝七時を回っていたはずです、
眩しいほどの天気だったのを記憶しています。
それから快調に坂を上っていったんです
別にトレーニングでもないので本当、フラフラという言葉が
ぴったりのスピードで、、、




しばらくすると坂の上から一人の男性がゆっくりとこちらに
歩いてくるのが見えました、
十月ともなれば山菜やキノコのシーズンです。
こういう時は、自転車でも登山でもハイキングでも、
たとえ知らない人であろうと挨拶するのが礼儀で、
声をかけ合うのがアウトドアの作法みたいなもんです

青い上着をを着た60歳位の壮年の方でした。
間違いなく、断じて間違いなく、青い”ブレザー”を被っていました。
2〜3メートルの距離まで近づき眼が合いました。

          『おはようございます!』

するとその方も伏し目がちに会釈で返してくれたのです。

しかしながら ”何でこの人こんな場所でブレザーなんか羽織ってんだろう、
観光地でもなし、、、 
”なによりこんなとこまでどうやってきたんだろ、上に車停めてんのかな?
いや、向こうも車止めあるから入れるわけないかぁ、、

すれ違う1〜2秒前、そんな疑問が湧いたんです。
私は向かって左側走っていました、すると、すれ違う瞬間に異変を
感じたんです。右耳と右の首に氷を押し付けられたような感覚です。

               『うっ、冷て!』

思わず声が出てしまいました。
二呼吸した後あたりペダルから足を下ろし、
         『なんなんだよ、こりゃぁよぅ、、、、』
ブツブツ小声で後ろを振り返ると、、、   いない、 いないんです!
今、それこそ3秒前にすれ違った男性が忽然と消えてしまったんです、、、、

なんだか軍手をしている手首から先が震えています、、

下の歯茎を中心に口の周りも震えていました、、、、

『ありゃりゃぁ、、オヤジ、川でションベンかぁ?』

今、目の前で起こっている事実が怖くて怖くてどうしようもなく、

     『こんな事あるわけないじゃん、、、、、馬鹿らし、、、、
          ”絶対絶対俺は認めないぞ!』

自分の中で、くだらないお笑い話にして片づけてしまおうと、
するとそんな ”ションベン”なんて言葉が出ていました。

一応ガードレール越しに清流を覗き込んだんですが、、、 いない、、、   
いないよぉぉぉ、、、    反対側は高い高い壁、、、、、、

        ”とにかくここを離れよう!”




       ”どう考えても普通じゃない、、、”

逃げなきゃと本能的に察しサドルに尻を乗せたんです、

引き返せば下りだから楽である、しかし万が一、下でオヤジが
待ってたら、、、

何のためらいも無くハンドルを峠に向けペダルを踏みこ、、、、、

その瞬間、足が動かなくなってしまったんです!
もの凄く寒く、空気が凍っているような、まるで
冷蔵倉庫にはいったような、、、
頭はパニックになり逃げようにも体が動かない、、
動くのは目だけでした。
急に息苦しくなり、歯を食いしばり目を強く閉じ、

落ち着け、落ち着け、落ち着け!
心の中で大声で叫んでいました。

ものの5秒程だったとおもいます、体が動かなかったのは、
震えまくってる手をハンドルにのせペダルを踏むと、、 
踏めた!!  一番軽いギアを選択し、なんとか走りだしたら
とんでもないことに、、   気のせいかもしれませんが


       背中のリュックを引っ張ってる!


嫌な気配が 『行くな!行くな!』 叫んでるのがわかります。
このまま止まったらリュックごと引きずられ持っていかれる!

と、その時、亡き父親がいつも言っていた言葉を
思い出したんです。

『法華経は経典の王様だ、いかなる時でも心に持ってろ!』

口を閉じ前歯を噛みしめ鼻で呼吸をしながら必死で唱えたんです、
法華経を唱え続けたんです。
するとどうでしょう、 ”フワッ” と顔正面に生暖かい風が当たり、
嫌な気配が消えました。

             『た、たすかった!』

いつしか登り道も頂上に到達し、平坦になった頃、
右の肩越しから後ろを振り返ると、
           
       また、誰かいる!  それも、歩いてる!!

気のせいでしょうか、それとも恐怖のあまり
幻覚症状に陥ったんでしょうか?
前屈みに腰を曲げた手ぶらのおじさんがこっちを向いていたような、、

       気が狂いそう、いや、狂う寸前でした。

追いかけてこられる恐怖と戦いながら絶対に立ち止まったり
振り向かないと決め必死に九十九折りを駆け下りていきました。

県道7号線に辿り着き車を見た時の安堵感、強烈な喉の渇き、、、
腕時計に目をやると朝の7時39分、 確実に覚えています。

その日は即、真壁からリンリンロードで北条まで戻り、
竜ヶ崎へ逃げ帰りました。


もういいでしょう、この悪霊道路はどこか明かします。

筑波山湯袋峠と上曽峠を結ぶ道、地図に小さく書かれています。




後日、お客さんでわざわざ岩瀬から来てくださる警察官のAさんに
この日の出来事をすべて話たんです。
旧岩瀬は現在桜川市となっておりAさんは桜川署勤務なのです。

すると、ポツリと、
『ああ、あそこな、自殺するのが多くてよぉ、よく行くよ、、、』

        やっぱり、、、、、、、、、、、

だからあんなとこに石仏あるんだ、、、

人がめったに入らず、静かな林道、美しい清流、仏像に見守られ、、、、
自殺する人が集まるのも頷けます

















長い話になってしまいましたが、これが私が最近筑波山に行かなくなった
理由なんです。


この事を家内に話すと一言、

『あんたそれ、”床屋ドッキリマル秘報告”じゃないの』

海老根君に話すと、相当怖かったんでしょう、 『ヒッ、ヒッ、グルルゥゥゥ〜』
奇妙な声をあげ、彼は、つくね片手に泣いてました。



あれからもう9ヶ月が過ぎました。
今にして思うにあれはチンピラや猿に絡まれるよりタチ悪いですよ、
おかげであれから加波山にも行ってません、

だからといっていつまでも逃げ回るのも癪だし、、
結構怒っているんです、日頃、”イジメから逃げるな!正面切ってやりあえ!”
なんていっといて自分では地縛霊に虐められブルブル涙流して逃げ帰って、、
いくら小心者の私ですがとっても悔しいんです。


そこで、考えたんですよ、いや、決めたんですよ、 "報復”を、、
えっ、誰にって?  そりゃあ決まってますよ  ”悪霊さん” にですよ、、


じゃ、今ここで企画します、 富士理容館店長 VS 筑波山地縛霊


あの時のルートをまた辿り地縛霊をふん捕まえて今度は私が虐めてやります。


    ”やる!” と言った以上必ずやります!


初回は私の戦意喪失敵前逃亡の完敗だったので、、、

では、ブッチメた後あの場所で西野カナか沢田知可子の”会いたいソング”を歌いながら
供養の舞い(マルモリ)を踊れば私の勝ちというのでどうでしょう?

負けたら、、? 負けたら一体何されんだろ、、、?

まぁ、いずれにせよその証拠写真を近々ブログにアップします、、

      必ずアップします!!

    それよりもその写真を撮ってくれる方、募ります。
     
    エキサイティングな経験しましょう!!












| 店長の日本一ためにならない話 | 15:14 | comments(2) | -

偏見からの脱却

 
もう数ヶ月前もの話になります。
当店出入りの道具屋さんと、いつものように雑談していると
妙な話を聞いたのです。
長い間、この仕事に携わっている私にしてみれば、なんだか、
とっても 考えさせられてしまような話を、、、。



今の世の中、インターネットが情報の宝庫であるというのは確かなことであり、
他店のHP等を拝見させてもらうと、とても勉強になります。
それこそ今や、私にとっては、ハサミやクシに匹敵するほどの必須ツールでもあります。 
しかし、そこから得られる情報は発信及び閲覧できる人達だけに
限られるもので、自論ではありますが、我々の業界は、昔から進取の精神
に乏しいというのか、未だにマウスにすら触れたことも無いという
アナログ人間の比率が極めて高い業界であり、
実は今でも口伝いのほうがホットな話題を収集できるという
まさに、昭和の生き残り集団のようなものなのであります。

そこで、数々のお店を回り、商売や世間話をしている道具屋さん達は
実に重宝なもので、お店にいながら有益な結果につながる旬な情報を
商品と共に届けてくれる
いわば、”出張型人間版理容業界ポータルサイト”とでも言いましょうか、
早い話が、情報屋なのです。
       そして、おしゃべりだと尚、よろしいのです。


   

 

まあ、本題にはいりますと、その話の内容というのは、業界の剃刀事情で
情報屋曰く、 最近の大衆理容店(20〜30分で1800円位のお店)では
顔剃り時に、安全剃刀でシェービングをするところが増えてきている
との事なのです。
その話を聞いて返した言葉が
    『ふ〜ん、じゃあ、そのうち、電気剃刀に、なんじゃねえの?』
胸のなかでは、”またこいつ、くっだらねえ事、言い始めたよ”
その気持ちを変換すると、上記のような返事になっていました。

ところが、唾を飛ばしながら身振り手振りでの彼の説明は、私の空返事を
打ち消すような熱いもので、どうも、まんざら冗談ではなさそうです。
そりゃそうです、そういう情報を提供するのも彼らの仕事なんだし、、、

 『本当の話?』  聞き返すと、

 『店長〜〜〜っ、今は、そういう時代なのよぉ、』

  『ほ〜〜っ、それって、手抜きの極み?』 間髪いれず訊ねると、
   人差し指を立てながら
  『何言ってんの、今は、よっぽど低料金店の方が研究熱心ですよぉ!』
   と、でかい声、 
 その確信に満ちた言葉からして、これはどうもウソでもホラでもなさそうです。
   これには私も、いささか驚きました。

 『えっ、じゃあ、なんだ? 安全剃刀でチャッチャと剃ってお客さんから
お金もらうの?』  要点をついた言葉を返すと、

 『昔と違って最近はゴリゴリ深剃りしてくれっ、つう人はいないしねぇ、』 
  ま、もっともの答え、

とはいえ、T字でなんて、、、。

私にしてみれば、”T字で済ますなんて、そりゃ、お客さんに対する冒涜か、
それとも、技術に対する挑戦か、はたまた、無免許対策か?”
色々な考えが浮かびます。、しかし、 あまり突っ込むと、
    ”じゃあ自分で見てくりゃいいじゃん”
と、なるのも明らかで、ここは言いたい気持ちをグッと押さえ、『ふ〜〜ん』 と、
溜息と鼻息が混ざったような気の抜けきった返事、 
 ”ああ、そうなんだぁ” との仕草でやり過ごしたのです。



しかしまぁ、いくら安いとはいえ、まがりなりにも、有資格者としてのプライド、
と、いうか一生食べていける技術を教え込んでくれた師匠、
見習い時代に流血させた身内や先輩もいたでしょう。
ひょっとしたらお客さんにもいたかもしれません。
本来 手に職がつくまでというのは、たくさんの方たちの善意や協力のもと、
自己修練に励み、その結果、習得できるものであり、そして、その身につけた
技術を実践し続けていく事が支えてくれた方達に対する恩返しでもあると
信じます。
ところが、その習得した宝を放棄し、素人と、なんらかわりない技術で
お金を頂くを生業とするならば、それは協力者達に対する信義に背く、
背信行為といえましょう。
      ”けしからん”の文字が頭をよぎりました。



ともあれ、その安全剃刀の実物を見たく、いてもたってもいられなくなり
その日の夕方、仕事を抜け出し、買いに走りました。 
間違いなく経費で落ちるものですが、領収書を切ってもらわなかったのは
職場で必要な物として受け入れたくない気持ちの表れだったのかも
しれません。


これがその剃刃  なにやら、本体にモーターが付いてるようです。
刃も5枚並んで、まるでブラインドのよう。極めつけは
    ”80%以上の人がヒリヒリしない”
ほんとかなあ、、、。  松坂の微笑はおまけというところでしょうか。

      5枚



まあ、ここで話のついでに剃刀の歴史でもお教えしましょう。

そもそも、剃刀の歴史は古く、昔々、大化の改新よりもさらに昔、
中国から仏教が伝来した時、仏像や仏具等と一緒に
お坊さんの剃髪用の刃物として伝わったのが最初で、それがいつからか
髭や月代(お侍さんのちょんまげ頭) を剃るものとなり、
長い年月をかけて進化し、現在の形になったといわれています。
けれど、いまから30年位前、B型及びC型肝炎ウィルスが血液を
介して感染するという事がはっきりしてからは、
ほぼすべての床屋さんでは使い捨ての替刃式に移行していきました。
(壁にぶらさがっていた太いベルトをヘソにあて剃刀の刃先を
ピタピタやらなくなったのはそういう理由があるからなのです。)
私のインターン時代(昭和58年ごろ)HIVが社会問題となった時などは、
それこそお客さんから  ”消毒したか!、刃を替えろ!”
 しょっちゅう言われていました。 ハイハイ返事をしつつも心の中では、
”そんな心配だったら、なにも床屋で剃らずに家帰って自分専用の剃刀
で剃ったほうが安心なのに、小心者だなぁ”  そんなことを考えながらも
その剃刀でビクビクしながら自分の髭を剃っていた私も、筋金入りの
小心者でした。

横道にそれましたが、一枚刃の西洋式剃刀が主流の頃、使い慣れない
人にとっては、切った、引っかけたは、しょっちゅうのことだったようです。
そこで登場したのが、安全剃刀です。
しかし、当初は、そう安全ともいえなかったようです。
けれどもそからがすごかった。一枚刃から二枚刃へ、
固定方から首振り式へ、 水溶性スムーサー装着、
横ずれ防止のガード機能、 そして摩擦軽減モーター付5枚刃、
これ以上の進化は、ありうるのか、とすらおもいます。




話を戻します。  買ってきた剃刀を誰もいない店内で、箱を開け
掌にのせ重さの確認、上下左右から触れ、素材と構造を解明、
次に爪楊枝をひっかけ対皮角度を調べ、それから壊れるくらい力を加え
安全性を見るのも重要なポイントです。
そして、やはり最後は自分で使ってみないことには、評価も感想も
出せません。

安全剃刀を使うのなんて何年ぶりでしょうか。使い方も知らないのに、
正直、その時は、”よしよし、一丁、専門家がみてあげよう”位、
のぼせ上がった増上慢がいました。 そして、タオルで顔を温め
粉石鹸を髭にたて、大きく頬の上を滑らせ順剃り、  感想?
        ”まあ、こんなもんでしょ”   
ところが、 逆剃りを2〜3回した瞬間、まさに、その瞬間、
まるで足元を切り崩されるような危機感を感じたのです。 
その危機感とは、ほかならぬこの安全剃刀が私達の業界を脅かす存在に
なるのではないのかとの思いです。
それは、髭の生えている方向がしっかり確認できる位の技術があれば
半人前でもなんとかなりそうな理由と、刃が5枚あるぶん、対皮角度を
抑えてるとはいえ、1ストロークで1枚刃の5回分の作業をこなす訳で
時間短縮にもなり、また、その対皮角度ゆえ、痛みの軽減にもなるとの
個人見解です。
 (ここで断っておきますが、私はけっしてジレットの回し者ではありません)
道具屋が言っていてたよう、たしかに今は深剃りする方は大幅に減っています。
その反面、”ふだん剃れないところだけ”とか”顔剃りはいらない”という方は
右肩上がりに増えています。 その理由は、安全剃刀の性能の向上により
私達との技術の差が確実に縮まっているのではないかと考えてしまいます。
はっきりと検証はできませんが、ここ20〜30年、理容室での顔剃り技術が
向上したとは思えません。 むしろ、お客さんの絶対数が減った今のほうが
退化しているのではないか、とさえ感じています。
と、なると大衆理容店は、そこを考え、いかにして20〜30分の中で
全般技術を凝縮させ金額に見合う価値を創りだしていくにはとの答えが
この安全剃刀だったのではないでしょうか。
おおげさな表現かもしれませんが、劣悪な労働環境のもと習得した
私達の宝ともいえる剃刀技術が今、まさに淘汰されんとする時なのかと
感じてしまいました。

例えた話ですと、
戦国時代、あまりの強さに、あの徳川家康すら震えあがらせた一騎当千
ともいえた勇猛果敢な武田騎馬隊。
一人一人の戦闘能力は、まさに千人に値するほどの最強軍団であったにもかかわらず、長篠の戦いで織田信長率いる鉄砲隊の三段撃ちにコテンパンにやられ、敗れてしまいました。
そしてその最強騎馬隊を蹴散らしたのは、何となんの武芸も持ち得ない足軽集団だったのです。
なぜか?  答えは簡単、 足軽には鉄砲という優れた武器があったからです。

140年前、薩摩、長州がなぜ幕府を倒せたか?
薩長のほうが根性があったからじゃないんです。
それは、戦国時代さながらの鎧・兜で身を固めていた幕府軍に対し
薩長は軽装で最新の銃を携え縦横無尽に動きまくれたからなんです。
そもそも薩長は刀を持って戦うという発想は、なかったとおもいます。
火器の浸透率の高さと、優れたものは即採用するという姿勢が
勝利の要因だったようです。



そう考えてみると、”安全剃刀での仕事イコール手抜き”
という自身の先入観は改めなければならないのではないのかと思い始め
その日から閉店後の一人研究が始まりました。
晩酌なんかしている場合じゃないと思ったのは
大損こいた株式投資研究以来の事で
スイッチの入った向学心は煩悩をも凌駕していました。

しかしそこはやはり一人、どうにも、こうにも解決できない疑問に試行錯誤の
夜が続きます。顔に泡をたてて剃ると、泡がうまく刃に付かず、
どう処理すればいいんだろう、せっかくのスムーサーをうまく利用する
方法はないのか? 持ち方は? 立ち位置は?
イライラして剃刀をブン投げようとした時、
すべてを解決する方法を思いつきました。

  ”なんで、こんな事に気づかなかったんだよ、
    大衆理容店に行きゃあいいんじゃん!” 

            あっけない解答でした。



後日、無精ひげを伸ばし、くたびれきった格好で、
とある政令指定都市の駅に隣接する大衆理容店を訪れました。 
入口から首を伸ばし中を覗き込むと、凄い大繁盛。 午後3時過ぎ
といえば、とても暇な時間帯なものですが、、、。  
妬ましい×羨ましいの2乗、という数式がぴったりです。
そして、入口ドアを押しました。    ”チリン” 
涼しい鈴の音、 一呼吸後    『ああ、いらっしゃいませ。』
四台並んだ椅子の一番手前の店長らしき人がボソボソと横目で挨拶
(全員技術者のお店は、だいたい入口に一番近い人が店長なのです。)
首を回さず、会釈をせず、横目だけの挨拶は、
”来ていただいてありがとうございます!” との気持ちとは
あまりにかけ離れた態度の表れで、あまりいい気分はしません。
胸の中で、”ダメだろがぁ、この積み重ねが、必ず失客とスタッフの
怠惰な態度に直結するよ!”  20年前に経験済みの私が言うんだから
間違いないんです。  ま、おおきなお世話ですが、
そして、長椅子のあいているスペースにお尻をねじ込み店内を見渡します。
私は元来、とてもセコイ奴で、口には出しませんが、
他人の店舗の償却や家賃、経費を、勝手に予想しては損益分岐点を出し
これまた勝手に人の利益を頭に浮かべ、金勘定ばかりして待ち時間を過ごす
ケチな妄想癖があるのです。
  
ほどなくして、本村弁護士風の若いスタッフに席に通されました。
 どうやら彼が担当のようです。
(ここでの技術の内容に関しては割愛させてもらいます。)
散髪中、タイミング良く隣のボソボソ店長が顔剃りにはいりました、
大チャンスです。  鏡越しに彼の右手に両眼張り付き、目で追いまくり、
その3分後、   ああ、なるほど、この手があったか!
コロンブスの卵というより、もう全く基本概念自体が全然違います。
ひょっとしたら、、こんな時間に、あんなにもお客さんが集まるのは、
この合理性が叶えた低料金を求めてきてるものだと感じました。
というか、全くその理由以外は考えられません。

疑問解決すれば気は軽いもんです、本村に、
『床屋さんになるのって大変なんですか?』 『鋏の素材って何なんですか?』
もう、おとぼけモード全開、
往復4時間と焼き鳥30本分の交通費かけて来たのですから、
少しは楽しまさせてもらわないと、いろいろ質問をし、返ってくる言葉を楽しむ
性格悪悪モードも全開でした。
ところが、最後に 『床屋さんの剃刀使わないんですか?』
来店の核心をついた問いに、
『このほうが早いし、安全だし、血もにじまないんですよ。』 
確かに顔を剃っていた時間は2分位でしたし、
安全も対皮角度も実証済みです。
『あと、皮膚にも抵抗が少なく、お客様の為にもこれを使ってるんですよ。』 
いろいろ訊いても丁寧な言葉で返してくれます。
ひん曲がった私の性格とは違い、発する一言一言に人柄の良さが
にじみ出ていました。

そうして彼の誠実な受け答えを聞いているうち、なんか、だんだんと
ミジメになっていく自分に気がつきました。
いい年こいて至誠を尽くす青年に対し、くだらない問いかけを
してしまった申し訳なさ、 猛烈に湧き上がる自己嫌悪、
安全剃刀を使う事が師匠に対する背信行為だなんて断じた心苦しさ、、、、、


会計をすませ外へでると、すっかり太陽も西へ傾き、
代わりに葉のない樹々を飾り尽くしたブルーの光の下、規則正しく並んだ
色とりどりのパンジーが、陽光の代役をかってでたような風景が
印象的でした。

そして何年ぶりでしょうか、
敗北感と心苦しさで圧し潰されそうな胸中を必死にかばいながら
一刻でも早くこの地を離れたいと思ったのは、
駅前ではしゃぐ高校生の群れを足早にすり抜け
チラシの呼び込みも振り切り、やっとのおもいで電車のシートに腰かけると、
気が抜けながらも鼻で大きく深呼吸し、今日の目的に対する収穫と反省を
頭の中で整理し始めたのです。


収穫は”驚き”というものでした。 
低料金でも利益を出す為に絞り尽くしたシステム、
それに価値を見出し来店する多数のお客さん
剃刀の疑問も、まさか、あんな掟破りが飛び出すなんて、、、

いい例が 回転寿司、昭和の時代、寿司職人の方達は、まさか
軍艦巻きの上にハンバーグやエビフイがのるなんて、
それこそ伝統的和食文化に対する冒涜か挑戦ととらえた人もいたでしょう。
今はハンバーグもエビフライも立派な寿司ネタの一員となっていますが。
まあ、ようするに、サービスする側の固定観念が消費者側の要求により
全く時代遅れの考えになってしまうこともあるのです。
もちろんそれは理髪業界にもあてはまるものです。


そう考えると、我々の業界、今まで考えられないような事だったものが
スタンダード化してしまうのか? さきほど見た驚きのが
将来ありきたりのものになってしまっているのではないか?

結論はここです。  
私達の業界は、個人の能力を高め、生かし、そして脈々と続いた
ノウハウや伝統を頑なに守り、実践し、ここまで成長してきたことは
確かです。 けれど、折からの不況にあえぐこの時代に、
より一層の成長を望むのであれば、 固定観念や先入観にとらわれず
たとえ低料金店といえども、その合理性は素直に学ぶに値するものと
思います。見習う部分はとりいれ、自分の悪いとこは切り捨てる
そうすれば、お客さんの満足の形も今とは随分と違ったものに
なるとおもいます。 けっして、真似をするというのではなく、
物事を考え、判断するうえでの基準や指針の許容量を
もっと広げるという事です。
安全剃刀を使う店は、そのことを私に教えてくれました。 
なによりの収穫です。 そして、27年に及ぶ低料金店に対する
巌のような先入観が溶ろけた夕刻でした。

そして反省の整理です。
まずは、なんといっても、床屋さんに、わかりきった質問を浴びせた
ことです。ちなみに、”床屋さんになるのって大変なんですか?”
の問いに、『この業界、変わった人の巣窟ですから』と、冗談まじりの答え、
床屋業界の偏屈、我儘、サボリん坊、の三冠王の私にしてみれば、
大きく頷いてしまい、正体がバレる寸前でした。
あと, 『下の方だけ切って下さい』
としか言わなかったので本当に、襟足しか切ってもらえませんでした。
これはたとえ同業者でも簡潔には感性は言葉では伝えられない
との学習にもなりました。 普段、カットする側がお客さんに
なってみないと、気付かないものって結構あるもんです。
そしてなによりは、冒頭で、"理容業界は進取の精神に乏しい”だの、
”昭和の生き残りの巣窟”だの、さんざんぱら暴言吐いといて、
結局は、そのチャンピオンが、いまここで、キーボードを叩いてる
ほかならぬ私だったという事実、  反省しています

長文になりましたが、まあ、年をとると人生の中で一番勢いのあった、
一番うまくいってた頃の考えが自分のなかの基準になってしまう
との事を伝えたく綴ったわけです。


    今回はつまらない話ですいませんでした。これが最大の反省です。

        次はもっとワクワクする楽しい話題を写真入りで紹介します。

| 店長の日本一ためにならない話 | 22:03 | comments(0) | -
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