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書くにあたっての二人の師

 


以前ここのブログでカミングアウトしたことなんですが、
こんな無学無教養の私が、どこでどう間違ったのか、底辺高校在学時に
あの凄まじい環境下では絶対の絶対に縁に触れることの無いであろう
活字だけの読み物(小説)にのめり込んでいたという、松戸M高校としては
前代未聞、未来永劫に無いであろう、ふざけた生徒だったという珍過去を
明かしたことがあります。

あの頃まわりを見回せば 駅で 『フンガ〜〜ッ!!』 と雄叫び上げてた奴、
”えいきゅう不滅”を ”A級不滅”と書き、”平和” の読みはもちろん”ピンフ”
How old are you? との問いに胸を張って I’m fine thank you!! 

こんな破壊力抜群のバカ達が豊富にひしめいてた松戸の魔窟、M高校、、、、
そんな愉快なバカ達の熾烈な最下位争いに必ず絡んでたドーベルマンバカが
当時の私でした、、、   
       
そんなバカの黒帯が家に帰るやいなや机に向かい、
隠れるように背中を丸め、親指舐め舐めページをめくり、
夢中で読んだ三島や谷崎、太宰、漱石、有三、、、
主義も主題も文脈も、作風選びさえまるで一貫性が無く、
ただただ近代文学という響きだけで味噌も糞も分からず
貪り読んでいた、こっ恥ずかしいあの時代



ところで、なにゆえそんなバカが活字だけの書物などを読むようになり、
今では直木賞作家のサイン会へ嬉々として参加するおっさんになって
しまったのか、、
最近たいしたブログネタも無いことだし、いっそのこと、どういう展開を経て
そこへ行き着いたのか、いったい誰がそんなこと教えたのか、
つまり、そこに至った根本原因といえる ”どこでどうしたから、こうなった” 
そのルーツをたぐり寄せ明らかにし、今回記事にしてみよう考えたんです、、 

これ早い話、理系の人が好む直接的原因探し、何に端を発したかの
追究、発表みたいなもんです、、


まあ、そんなことを思いついたのは、先月の浅田次郎サイン会の帰りに
なんですが、帰宅後その内容ををサイン会記事と付せて書こうと考えるも、
なにせフニャフニャに酔っぱらっちゃってて何が何だかさっぱり分からず
書けずじまいでしたが今日は飲んでいませんので、しっかり書けそうです。
こういうのは記憶の冴えている日中じゃないと指が止まっちゃうんです、、

よって、さきほど神妙に高1、中三、中二、、
しっかりと時計を巻き戻してみました、 すると、よ〜く思い返してみると
その出発点がなんとなく分かってきました、、、
そしてそこには、両手を腰に当て仁王立ちする一人の大人の姿が
ぼんやりと浮かんできたんです、、

それは底辺高校2年生の春、、 そこからさかのぼること5年前、
つまりは小学校6年生の頃まで昔に戻るんですが
どうやらそこが出発点のようでした。

ところが思い出してみると、今回は結構人気のある底辺ネタなんですが
あまり馬鹿っ話にもっていけないようです、、、
なぜならこんな私みたいな、おちこぼれをなんとか引っ張り上げよう
知恵を絞り心を砕いてくれた先生の話になるからです、、





でもまあ、そんなこともふまえて、どんな理由あって底辺文学珍生徒に
なっていったのか、つまらんおっさんの昔話ですか暇つぶしにでも
読んでください、  今日は調子が良いので一気に書けそうです。

    じゃあ、とりあえずその話にでも入りましょうか、




まずはその頃、小6の頃の説明からですが、恥ずかしい話当時の私は
これ、どうにもこうにも落ち着きのないお調子者だったんです、、
お調子者と文学底辺高校生が何の繋がりあるの? と、
お思いでしょうが、実はそこには、悪ガキがおとなしい子になるよう
私の性格に合うよう考え工夫したその先生の極端ともいえる
教育方法があったんです。
そしてその指導がきっかけとなり、5年後、幸か不幸か珍妙極まる、
おかしな高校生へと変貌していくんです、、




あぁ、その存在、方法を明かすのでしたら順番的には、まずは
私の腹の中にある考えを明かすことから始めなければなりません、、

ちょっと堅い話になりますが、、、

常々自分は世の中の実相というものは善になろうが悪に向かおうが、
社会も個人も全の基底根幹、土台にあるもの、  すなわち世の中を
司っているものの一切の出発点は教育だと思っています。
学も教養も無い私が言うのも、いささか説得力に欠ける発言ですが、
全く揺るぎない持論なんです。
これは机上の学問以外でも、物事の考え方、捉え方、最善の方向に
持っていく方法論、手段、、、   
各々その根本にはどれだけ多くを学んできたか、どれだけ真剣に
学んできたかで成果も結果も影響も報酬も行き着く先も
全てにおいて変わってくる主因が教育だという意味です。

説明すると、物事とはいかなる結果結論が出ようと、必ずやその
出たものに準ずる原因があるもんです、
皆さんも知っているまあ、よくいう因果の法則です。
今起こってる物事や取り巻く環境の原因を知りたければ過去へ
さかのぼり、未来を知りたければ今やっている事を見ればいい、
社会でも個人でも良き原因こそが良き未来への形成材料へとなる
というわけです。 ならば、異論反論あるとおもいますが、私の
48年に及ぶ経験から断ずるなら、

運や能力や環境なんてものは学ぶ事を拒んだ者の言い訳なんです、

世の中とは私達人間が主体となり成り立っている共同体です
ならば正しく良きものをキチンと認識した上で、道徳や習慣や
考え方などを教え込み実践させ、時に自ら学ばせる、、、
すなわち良き教育という行為自体が道理に適った良識を生み出す
種子であり、それが良識ある人材を育て、その人材達が良き社会を
形作っていく、、、
これ、当然すぎる筋道なんんです、 人が支える社会なら、支える人の
資質を高めれば社会の倫理も文化も高まるわけで、
そうしたいのであれば教育を充実させるべきなんです。
もちろん個人個人変えていくのもしかり、各々性分や気質をよくよく
分析し、個別的教育内容の強化強制次第によっては人の内面すら
変えていけるもんなんです。
そうするなら教育次第によっては過去の私のようなお調子者でも
地蔵やこけしのような、おとなしい文学底辺高校生に変わって
いくんです。  これはそう変わっていった生き証人の言葉ですんで
こんどは説得力ありますよ、、


上記の教育についての持論なんですが、理系脳の理想まみれ暴論かも
しれませんが少なくとも私は正論寄りと確信します、、



まあ、熱弁ふるっても賢い皆さんなら、そんなこたぁ分かってるわ、の声が
聞こえてきそうなので教育の重要性はほどほどにしておいてと、、、、

それよりも、いったいどのくらい私がお調子者だったのかをまずは
説明しないといけません、そしてどのような方法でそのお調子者が
地蔵やこけしになったのか、、、
もちろんその手段も明かさなければ上記の持論を納得させられません、、

その小6時時代の私が、どんな子供だったのかなんですが、、
現在使われている言葉で表現するなら、ズバリ、アスペルガー偏差値70、
お調子者と言うよりどちらかというと落ち着きのないキョロキョロバカ、、、 
こう言ったほうがピッタリだと思います、
具体的には、いつも何か面白い事はないかと四六時中、蝿のように
キョロキョロ周囲を見廻し、見つけるやいなや、その中心となり
悪ふざけの先導役をかってでる70年代番組の ”あばれはっちゃく” 
の暴れない版みたいなもんす、、、、
おかげで毎日担任の先生からは首が240度位回るビンタを喰らうのが
日課でした、、   
睨みが効く、、との理由で席は中央最前列、(席替え参加も許されず)
発言は手を上げ許可をとってから、、、  給食の大鍋は接触禁止、、、 
これは大量の消しゴムカスをコネて丸め、肉だんご色に色付けして鍋に
放り込んだ悪事がバレて、炎を噴くような猛ビンタをもらった後からの
決まり事だった憶えがあります、、、、、、
しかし、同級生からはそんな怒涛の馬鹿キャラクターゆえ好意的な
扱いを受け、自分で書くのもなんなんですが結構な人気者でした。
その反面、先生達にとってそんな騒がしいバカは悩みの種だったん
でしょう、そのため、あまりの行儀の悪さに手を焼いた当時の担任が、
なんとかこいつを静かに机で落ち着かせる方法は無いものかと日夜
頭をひねりまくったんだとおもうんです、、

そして先生が出した結論(教育方法)というのが日記だったんですよ、 

        それも授業中に書けと、、


『どんな内容でもいい、題名を決めて、それを帳面1ページ書き終える
までは、たとえ夜になっても帰さん!! わかったか!!  
おまえの母ちゃんにもよく言っとくからな!!        
            ちなみに夜の教室は怖ぇ〜ぞ!』

そんなことを言われ、”ほれ!” と言葉と共にノートを放り投げられたんです、

平成の今では絶対にありえない、恐怖と強制のコラボともいえる極端極まる
パワハラ課題です、、



その頃、楳図かずおの ”漂流教室” なるマンガの影響もあり薄暗い教室に
一人だけ残るというのは発狂モノの恐ろしさです、 だからでしょうか、
居残りさせられるかもしれないとの恐怖から生まれるエネルギーとはスゴイ
もので、それから逃れようとする一念は鉛筆をもなめらかに走らせました。
幸いにもバカはバカでも馬鹿正直だったので、もう必死に書きました、
何を書いたかは覚えていませんが、それは、ただただ文字を並べただけの
拙い駄文だったはずです。  
たぶん馬場だのブッチャーだの地獄突きだの、、、、
           きっとそんな内容だったんでしょう、、、

そして毎日下校時にその日書いたものを提出し、翌朝出欠をとった後
そのノートを渡されるという決まりで、朝、手渡された日記を開いてみると
毎回そこには前日私の綴ったトンチンカンな文章の書き替えや
誤字脱字の修正、平仮名から漢字への変換、主語から述語への矢印等が
びっしりと赤ペンでこと細かに加筆されていました、、、

小学生の私にとって、その手直しされた文章形態とは以後、模倣を強いられ、
修正された漢字は多用を義務付けられたよう、従うことしか許されぬ
上官命令にも似た重みのある加筆添削であり、それこそ主語と述語が
はっきりしない文章でも書こうもんなら、またまた240度ビンタをお見舞い
されるんじゃないかと思うほど熱さ伝わる赤い文字列でした、

けれど不思議なもんで、最初はイヤでイヤで苦痛そのものの作業でしたが
そのうち先生の加筆修正のおかげでしょうか、それとも毎日怠らず素直に
書き続けた成果でしょうか、3カ月もすると次第に自分の思いや物事を
うまく文字に表現できるようになってきたんです、
するとこれおもしろいもんで、小学生ながら多彩な表記や正しい漢字を
使い分けられるようになり、いつしか日記がなんの苦も無く書きはじめられ、
自主的に机に向かうようになるまでに、たいして時間はかかりませんでした、、


そんな日記の提出が卒業式の前日まで続いたんです。
日数から勘定すればそれはノート2冊にはなってたはずです、

今では不幸にもその貴重な日記は紛失してしまいましたが、日記を書く
習慣は残りました。事実、それから書いた日記は大学ノート8冊に及び、
ここ龍ケ崎に引越して来た日、運び入れた荷物は、簡素な洋服の箱と
腕に抱えた8冊の日記だけでした、、

そう思うと小学校時代のその強制されながらも書いていた日記経験が
自らの読み書き学習となり、その副産物として得た文章や漢字に対しての
自信が活字を書く事への抵抗を和らげ、こんどはその自分の書いたものを
読み返すという習慣が自分自身に備わる読書力となったに違いありません
その結果、落ち着きの無かったお調子者も、読み書きをするという目的の
ため自ら机に向かい鉛筆を持つようになり、なんとか、おとなしくなるように
との思いを込めた先生の知恵が中学時代を挟んだ5年間、私の体に
しみ込み、涵養され、いつしか自分の机に向かう事が全く苦ではない
高校生に成長していった、、  というわけです、、

付け加えるなら、そんな恥ずかしい37年も前の体験が今なお続く、
読み書きの習慣に繋がっているという自らの現実が、さきほど書いた
教育の重要性を証明するものであると言っていいでしょう。

そしてそれ(教育の重要性)を体現した姿が、まさしく過去の私、
(文学底辺高校生)だった、というわけです。、

それもこれも小6時代に日記を強制された経験が礎になっているんです。
そう心から思っています、、








と、まあここで終わってしまえば、オチも面白みも無い話なんで、
ここからはリアルな内面を吐きましょう、、






ところで皆さん、、ここでおかしな疑問を感じません?
今回はなんだかずいぶんと出来過ぎた話なんじゃないかって、、

どういうことかというと、、、、
大体どうして小学校卒業時に自ら机に向かう習慣がつき、
やればできるということを体得したというのに、なんでまたそんな
底辺高校にしか行けなかったの? とか、
それだけ若い時分に読み書きが苦ではない学習習慣を身に付けた
んだったら、それを十分他の教科に応用できるはずだろう、、? 
とか、そんな疑問を、

もちろん今にしてみればそう思いますし、もっともな疑問です、、、


まあ、それについての答えなんですが、手短に言えば上記太字で
書いたキツイ一行が実は後々の私なんです。
あの文は自分自信に叩きつけた自責の文句であり、
上の疑問に対しての明確な答えでもあるんです。
      まさしく、喉元すぎれば、、、 ってやつでしょう、


   やはり物事は因があって果が成り立つわけです、、



そんなわけだから自己責任という世の鉄板の道理を知るに至った理由
ともいえる厳然と実社会に存在する、学力から学歴に、そして職業へと
つながり形成される絶対に口には出してはいけない世間のカースト、、
つまり、学力でつまずくと職業選択の幅が狭まり、結果、学業の何倍もの
努力をしないことには低賃金肉体労働者への道を突き進むという法則、、、

その仕組みをしっかり理解した17歳の時また日記を書き始めたんです、
その書き始めたきっかけは、 一言で言えば、きっと怖かったんでしょうね、
その社会に厳然と存在するそれが、、
このままだと高校卒業後、いずれ自分も学力や学歴に準じた職業階層に組み込まれてしまうという未来が、、、、

(そんなもの今にしてみれば取るに足らないつまらん悩みだったと赤面の至りですが、

   しかし、、、  やはりこれは紛れもない現実でした、、)

けれど、なぜまたそんなにも怖かった鉄の法則から逃れようとの対応策が
受験勉強ならまだしも、そんな女々しく弱々しい日記なんてショボイもんに
なってしまったかというと、
  ”社会に出たら絶対に読み書きからは逃げられないぞ!” 

この言葉が胸に叩き込まれた錨となっいたからでしょう
いつも口酸っぱく繰り返していた先生のその言葉を思い出し、せめて
人並みの読み書きの心得位は身に着け、日報が書けるあたりの
レベルにはならなければと多少は自分なりの考えもあったんでしょう
(実際は数学も英語も生活態度も全て手遅れ、という現実が先生の言葉を
無理矢理正当化させ、経験済みの日記に逃げたという見方も多少自分の
中にはありますが、、、)
そう思い立った時、日中は底辺高校というエキセントリックな環境下では
あったんですが、幸いにも小説を乱読していた時期と重なっており、自宅は
多くの書物という教材にも囲まれ、大人しく机に向かうようにもなっていたので
次元は全く異なりますが、少6の頃に比べ文章を書くという環境には
とても恵まれていたかもしれません、、
       たたひとつ、、先生がいない事をのぞけば、、、、
、、

そうして5年ぶりに書き始めてみると驚くことに、あの頃先生に教わった
文章体が意識をしなくとも、ペン先から次から次へと流れ出てきたんです、、、
書くほどに、綴るほどに罫線並ぶ白いノートの上、怖かった先生の
癖のあるあの字が、あの声が、あの表情が浮き上がり、蘇り、
それがどんなにも懐かしく切なかったことか、、

切なかった理由は、辛抱しながらでも淡々と続けていたものを辞めてしまい、
それと引き換えに自由を選んでしまった時、溜息と共に漂う、後悔にも似た
あの脱力感を初めて味わったからでしょう、、
それはきっと、先生が私に身に付けてくれた将来の可能性を広げる
尊い学習習慣を卒業を機に自ら放棄してしまった悔恨から生まれ出た感情、
だったに違いありません、、

だからもう遅いとは解かってたけど今度は続けました、、、
専門学校からインターン時代、店員時代を経て店長となり、
そして、店主となった今でも、、




すると、今にしてみれば分かります、先生が卒業ギリギリ迄続けてくれた
細かに加筆添削された日記を通して私に何を教えたかったのか、、

怠けるな、 だらけるな、 無為に過ごすな、やり続けてみろ、
学べば学ぶほど実りある人生になるんだぞ、、
おまえはバカだけど磨けば光るバカなんだ、 だから学び続けろ!!

きっとこんなことを教えたかったんだろうと、
この齢になってみてよく分かるんです、、

駄文なりとも自分の胸の中の思いを文字に表し、起承転結つけ
休まず一気にここまで書けるようになったのがその実証かもしれません、、








私にとって、書くという事で師と呼べる人は二人います、
一人は断じて折れぬと意地と信念を貫き通し、文字で支えてくれた
心の師、浅田次郎
もう一人は教育次第によって人はいくらでも変わっていけるもんなんだと、
それを書き続けるいう継続の力をもって私の体に仕込み、教えてくれた
小学校の恩師、、、
浅田次郎には先月、お礼は言えなかったけど会うことが叶いました。
しかしながら小学校の恩師との再会は難事です、お礼を言いたくても
言えません、、、、


庄司先生、もし、ご存命であり、百万が一以下の確率でしょうがこの記事を
読んで下さっていたら私の真心からの感謝の意をここで述べます、、


先生、ありがとうございました、おかげで静かに机に向かう大人になれました、
そして先生からの課題は老眼鏡をかけるこの歳になった今でも続けています、









| 店長の日本一ためにならない話 | 12:42 | comments(2) | -

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コメント
富士理容店さん、はじめまして。ラッキーといいます。
実は会社で同僚の岡田さんに紹介していただいてブログを拝見しております。面白い話ですね。

岡田さんから聞いたのですが、かなりの読書好きだそうですね。

私は、小学校から大学までの学生時代には1年に1冊ぐらいしか本を読まないほどの読書嫌いでした。国語が嫌いたっだので、理科系に逃げたのでした。

しかしながら、時は流れて、40歳を過ぎた頃にある作家との出会いから読書が大好きになり、今では活字中毒と思うほど
本を読んでます。今年は既に60冊ぐらいは読みました。
ある作家というのは東野圭吾さんです。

今考えると、昔、読書嫌いだったのは、昔の文学とかを読め
といわれて読みましたが、当時はぜんぜん面白くなかったので、苦痛としか思えませんでした。

でも、遅ればせながら、自分が楽しいと思う本を読めばいいんだと思い、読書を始めたら、はまってしまったということです。読書に慣れると、色々なジャンルの本を読みたいと思うようになって、昔は避けていた文学も読めるようになりました。

話が長くなりましたが、浅田次郎さんの本も先月読みましたよ。”降霊会の夜”です。

読書の管理は読書メータというのでやってます。
読んだら必ず感想を書くようにしてますが、これも
とても楽しいです。
もし、ご興味があるならば、下のurlをどうぞ。

http://book.akahoshitakuya.com/

また、読ませていただきます。

後藤浩之(ラッキー55)


| ラッキー55 | 2012/10/23 2:39 PM |
後藤さんはじめまして、
こんな稚拙なブログに丁寧なコメント有難うございます。
今回は、きわどい言葉もあったのでお叱りの指摘ではなく
ホッとしています。

なかなか胸の内の表現とはは難しく、時たま飛び出す
不遜で下品な言い回しお詫びします、、

読むほうですが、私の幅は結構広く東野圭吾はもちろんの
こと、宮本輝や重松清、はたまた西原理恵子やゲッツ板谷
まで小説好きというよりも文章を読むという行為自体が
好きなのかもしれません、
日々の読書とは活力の源のようなもんです、これ好きに
なったらシメたもんかと思います、、

才筆無き私ですが、月一ペースで書き続けますので
覗いていただけたら幸いかとおもっております。

| 富士理容館 | 2012/10/27 1:37 PM |
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