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まつ散歩、、いや、松戸の思い出、、



俳優の地井武男が亡くなってからもう半年も経つでしょうか、、


彼がまだ元気だった頃、東京の下町を中心に散歩してた ”ちい散歩” 
という番組、仕事が暇な午前中、奥で寝転がりながらよく見ていたもんです、、
私にはどう見ても単に散歩しているだけの内容にしか映らなかったですが
いつ羨望の目を持って眺め見ていました、、  なんてったって、フラフラ
散歩してギャラもらえて生活できるんだから、こりゃぁ夢のような仕事だな、、、
そんな思いで、、、、
まあもっともこんなのは私だけではなく庶民の皆が持ってる雑感でしょう、
もちろんそこに行き着くまでの苦労は斟酌はしますが、やっぱり羨ましい、
そんなもんだから彼と共に番組も無くなってみるとこれ結構寂しいもんです。


そうして幾月か過ぎた最近、ふとひらめいたんですが、番組が無くなった今、
庶民の典型、標本とも言える私が代わりに地井武男のよう散歩してみたら
いったいどんな気分なものなのか(もちろん無報酬ですが)を試してみよう
と思ったんです。 
要は我々庶民の客観的なその雑感を羨ましがられる主人公側から実見して
みようとの企画です、、
(やはり加山雄三じゃぁ、にじみ出る庶民平民の味は出ていません)

そう思いたった春まだ早い晴れた朝、さっそくヨレヨレのベレー帽に
ショルダーバッグを引っぱり出し地井武男になりきり、佐貫駅に向かい
 ”ちい散歩もどき” に出かけてみたんです。 

ところが張り切って出たはいいがここで根本的な問題が、、   
いったいどこ行こう? 歩き慣れてるといえば、北千住? 上野? 御徒町? 

改札を過ぎ、、  あっ、そだ、30年以上住んでた歩き慣れすぎた故郷が
あったわ、、、


よって今回の舞台は松戸、、 私松本ですんで ”まつ散歩” としましょう、、

本音を書くと、郷愁というか里心というか、一人でのんびり当てもなく
育った街をそぞろ歩きしてみたかったんです、、

まあ、つまらん個人的な思い出話ばっかりになると思いますが、
まぁ、行きますか、、






ホームから見た佐貫駅入口、、

そういえばそろそろ駅投だな、、、、、
IMG_1781.JPG




30分揺られて我が故郷へ到着、

東口に降り立ち左右を見ると、あいも変わらずの雑然としたビル風景、、
統一性の無い色彩看板、入り組んだ細い路地、放置自転車、、
しかしこれが目に入ると里帰りしてきたんだと実感できる風景で
なんとなく心安らぐ瞬間でもあるんです、、

そういえば右側のビル、、 かつて(30年以上前) ”ポンテ” という商業ビル
だったんですが、確か中一の頃、地下のゲームセンタで松戸一中の不良に
お金巻き上げられた事があったんです、
いきなり囲まれて 『おい、金出せ!』 でしたもん、、 いたいけな私らは
縮み上がって、紅顔の少年達が皆、チアノーゼ顔になってしまった
息苦しい思い出です、、

けれど今にして思えば、おかげで世の中には悪い奴がいるもんだ
気をつけろよ、、  との思いを思春期に植え付けてくれた、ひょっとしたら
後の人生にとっては、いい経験になったのかもしれません、、
けれど出来る事ならもう一度あの不良達と再会してみたい、、、、
こんどは確実にコテンパンに!、、、、、、、          は、 無いな、、、


そんな不良の縄張りだったこの辺りも、今ではすっかり清らかな街?
となり、その後、松戸一中はあの女性宇宙飛行士の山崎直子さんを輩出した
優秀中学となり、この横の新東京病院からは昨年天皇陛下の心臓手術を
執り行った高名医師達がいたりと、随分と街のイメージが高くなりました。
IMG_1782.JPG




歩き始めて10分、かつて勤めてたお店(写真なし)の前に19年ぶりに接近、、、
だんだんと胸が締め上げられてきました、、
     ああ、、、  この歩道、この駐車場、この風景、、、、




  『貴ちゃん、あと三人来たら焼き鳥、五人来たら寿司行こうよ、、』

当時そこのマスターと二人で驚く程の売り上げを上げていた職人時代、、、
陽が傾くと毎日小声でこの囁き、その後たとえその三人が来なくとも
閉店後には自転車に二人乗りして(運転手が私、後ろがマスター)全力で
ネオン街へほぼ毎日繰り出してた楽しかった思い出、、
そのうちあまりにも派手に遊び過ぎたせいか、同業者からの妬みか、
しまいには税務署に入られて、こってりお灸を据えられる始末、、、
それでも懲りることなく毎晩口の周りに泡付けて、二人で煽りまくった
生ビール、、


しかしながらそんな日々も長くは続かず、最後は些細な事でのケンカ別れで
店を飛び出し、流れ流れていつしか店主となった10年後、マスターが肺癌で
入院しているとの情報を聞きつけ、後ろ頭でも掻きながら病室に入り、
冷たい缶ビールでも差し出して仲直りしよう思ったんですが、

        そんな私を癌は待ってはくれませんでした、、、

後悔と心苦しさを背負って向かった通夜会場、歩み進んだ祭壇を見上げると、
そこに飾られてあった遺影は、まさしく、紛れもなくあの当時、あの言葉を
囁きかけるマスターの笑顔だったんです、、 

『よぉ! 貴ちゃん久しぶり、  いろいろあったけど楽しかったよな、、、
   先に行ってるよ、、、  こっち来たらまた二人乗りで繰り出そうよ、 な!』

そう語りかけてるよう、、いや、私には分かりました、そうマスターが発信した
んです、、

その瞬間、、『わあぁ〜〜あああああああああっ!!』、と大声で叫び、
両手両膝を地につけ、ゴメンゴメンと詫び続けるもう一人の私がそこに
いました、、

まばたきすると頬に涙が落ちるので、つまんだお香を覗き込むように
静かに下を向き、目をつむらず軽くこっくり頷くと、それはぼたぼたと
床にしたたり落ち、絨毯の上で玉になった幾つもの水滴がユラユラ滲んで
視界を覆っていました、、

そして誰かに声をかけられるのも嫌だったんで、そそくさと会場を後にし、
冷たい5月の雨降る中、トボトボと松戸駅に向かう道すがら、マスターとよく
通った居酒屋やスナックの前にさしかかると、とうとう我慢しきれず
声を上げて泣きました、、、

泣くな!泣くな!と言い聞かせ、降る雨以上に落ちる涙を抑えようと
下唇の右端を強く噛むと同時に、じんわり口の中に漂った錆びた鉄の味は、
きっと、欠いてはならぬ義理を欠いてしまった  ”自責の念”  という
呼び名の味だったんでしょう、、








そんな恩知らずのダメ人間を、故郷はこんなにも綺麗な空で迎えてくれました、、
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空を見上げ、『お〜〜〜い、マスター!!  元気かぁ〜〜〜っ?』

                ん、、、?



  あ、そうだ、、、 元気なわけないか、、  死んでるんだったわ、、、、、




 はぁ〜〜っ、、    里帰りしてはみても相変わらずバカば直ってないな、、
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国道6号線を渡り八柱方面へ進むと随分と、こぎれいになった野菊野団地、、




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坂を上ると胡録台消防署前、、

駅からここまで2キロ以上は歩いたでしょうか、、  ちい散歩もどき、
というよりも健康ウォーキングしているような感じ、、 
もっとも20年ぶりの風景は記憶の中のものとは全く異なったものになって
しまっており、こうなると思い出詰まった故郷という感覚も無く、さしたる感動も
ありません、、

ところでいったいいつからこんな小奇麗な街になったんだろう、
頭の中のアルバムには北京の裏路地みたいな画像が並んでいるんですが、
これじゃまるで新興住宅地みたいで、こんなの松戸じゃない、、 予定では 
”アド街っく地獄IN松戸” みたいな記事になるもんだとおもっていたのに、、
まったくもって20年もの時間とは瞼の裏の景色すら洗い流してしまう
意地悪をするもんです、、
IMG_1786.JPG



八柱方面へ向かう途中、30年前、専門学校在学中に年末実地研修との
名目で働きに出されたお店の前を通過、、     あれれ、まだある、、、

ふ〜〜ん、    じゃ、見学がてらチョロっと散髪でもしていきますか、、、
どうせ多店舗経営のお店だし正体割れ心配もないし、

そしてドアを開け中へ入ると、なんとなく覚えのある配列、、
『あの〜っ、、 予約してないんですけど、すぐやってもらえますか、、??』

わざとオドオドした新規客を装いペコペコ頭を下げるお芝居モード突入、、
しかし、店内を見回したとたん店主の性でしょうか、すぐさま頭ん中では、

『オイオイ!なんだこの壁の下のデカイ埃は! 
コラ!店内に案内する時は半歩前から手を差し伸べなきゃダメだろ! 
それよりもなんだこのキンチョールは! ハエや蚊等を連想させるもんなど
お客さんの目に入れるとはけしからん!!』

       けれど脳内と態度は全くうらはら、あえてモジモジ君、、、   

椅子に案内され座ると同時に担当技術者が刈布を巻きながら

     『今日はお仕事お休みなんですか?』  とポツリ、、、

ありゃ〜〜ダメだよ、のっけから新規客にそんな事訊いちゃぁ、、、、
だいたいどんな人かもわからないんだし、、、、
これ私も午前中のお客さんにはよく切り出しに使いますが、あくまでも
常連さん限定です、、 なぜなら初めてのお客さんにこれ訊いたら
答え次第じゃ気まずい空気が流れてしまうからです、、
けれどまあ、昔世話になった店ですし、彼にはまあ、学習ということで、、

『いや、あっ、あの、その、、 毎日休みみたいなもん、な、なんです、、、』

モジモジニートになりきり

         『、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、』

 クゥ〜〜ッ、、、  我ながらいい芝居!!  でもちょっと意地悪だったかな?

おかげこの一言で以後、お互い無言、、、、 
切り出し文句次第ではこうなっちゃうんですよ、、


40分ほどで終了、、 『お会計3990円です、、』    何?、、 た、高っ!!

でも研修とはいえ業界で初めて働いたお店で、教えてもらった事も多かった
はずです、 文句は言わない言わない、、、、       でも、、 高っ、、、、、、



そして、さっぱりしたとこでまた歩きだします、、    ところが、、、
この先、稔台から常盤平の間は、私にとってはロクな思い出のない所なので
懐しの新京成でショートカットしましょう、、

                 稔台駅
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駅で電車を待つ間、記事の紹介内容を浮かべてたんですが、松戸で有名所と
なるとやはり競輪場や矢切の渡し、本土寺、マツキヨ、戸定館、、、
こんなところかな、、   あっ、 我が母校、松戸託児所高校、、  
私の中では名所です、、


IMG_1789.JPG


みのり台、八柱、そして常盤平、、  ここで下車、、

ここ常盤平には、どうしても来てみたかった場所があるんです、、
潰れて無くなっていないか不安でしたが車窓から、まだ健在であることを
確認、、

          駅階段を降り、そちらへと足早に向かいます、、
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ここ、ここなんです、 

10代後半から2〜3年、夜ここの駐車場へくると、停っている車で誰が
いるかがすらすぐ分かるほど通いつめた、当時の我ら下層階級の
オアシスだった常盤平BS、、
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ここは二階がボウリング場で下がゲームセンター、、

変わらぬ入口を確かめ、さっそくゲーセンに入ってみるといやに明るい、、  
すると驚いたことに おじいちゃん、お婆ちゃん達がいっぱいいる、、、
いやはや昼間とはいえ、なんともまぁ健全になったこと、、、

私らの時代は夜ともなると、薄暗い空間の中、ボア付きの
土方ジャンバー小僧やイソギンチャク頭のパンスケ、
鼠先輩みたいな風貌のチンピラ、、 
そんな奴らがゲームもせずにハムサンド食いながらウロウロている、、、
ここに限らず昭和のBSのゲーセンなんてどこもそんなもんで、早い話、
社会のおちこぼれ達が集う掃き溜めのような場所でした、
そんなもんだから、子の非行に堪忍袋の緒が切れた父親が烈火の如く怒り、
このゲーセンへ乗り込み我が子の襟首掴んではズルズル引きずり退場させる、、
こんな光景もたびたび見られたもんです、、

     
そういう事のよくあった現場に30年ぶりに立ってみると自分では削除した
つもりの自堕落時代の記憶が再生されてきます、、、、、
するとその記憶の中の親父達と同じ年代になった現在、今度は勝手なもんで
頭の中では遊んでた側から遊び呆ける子を憂う側の目線になってました、、、
これも歳をとった証拠かもしれません、、

そして今更ですが一人しみじみその憂いてた親父達を思い返してみると、、、 

ほんと、昭和の親父達は強かった、、  ”強情” というより ”剛情” だった、、  
     悪く言えばまあ、、、  単純粗雑で、わかり易かった、、

そんな当時の親父達の、信念に硬直的で妥協を許さず一歩も引かず、
張り倒す行為も教育も一貫だと信じて疑わなかった行動力を伴なう
ハートの強さ、という面にはいまさらですが49歳の私、畏敬の念すら
抱きます、、

時は流れ、いつしか体罰もスパルタ教育も社会悪のカテゴリーに組み込まれ、
非行の泥へ沈みかけた我が子を引っ張り上げる手段は、言い聞かせる事しか
選択肢の無くなってしまった現在、ではどういう手段をもって更生さすか
躾けるか、これは子供のいない私の立場からでも十分考えさせられるものが
あります、、
   自分だったら、、だったら、、、??  ん、ん、?   そうですね、、

一番の有力案は決して体罰を肯定する訳ではありませんが、私の経験上、
世の中、悪ぶっている奴にほど暴力とは効果的なもんで、拳+説教で世の
道徳やルールを熱く説くと、これおかしなことに本人は痛い思いをしたにも
かかわらず、それを愛情込めた薫陶と勘違いし、素直にうなだれて本心を
ポロリとこぼすもんなんです、、  
やぱりこれが一番実効性あるかなぁ、、  もちろんこれは素行不良の者に
対してであり、今問題の指導での暴力は論外です、、
ところがこの策、失敗すると、いかなる原因があるにせよ相手に被害届を
出されたなら、こちらが警察の椅子で素直にうなだれる事になってしまう、、  
という大きなリスクを伴うので、あまりお勧めはできません、、、、、、  




なんだか話が変な方向にれズレてしまいましたが、まぁ、社会常識も
躾方法も時代とともに大きく変わってくるということです、
この後さすがにレンズは向けられなかったですが、この写真下右側に
70歳は過ぎてあろうお年寄り達があの頃の私達のよう楽しそうにワイワイ
やっていました。
フッと気が付いたんですが、このおじいちゃんらがその熱かった
親御さん達なのかな?     

ひょっとして、、、       ”30年は前営業妨害してゴメンな、、、  
当時のバカ息子、バカ娘に変わって今ここで売り上げに協力するからね、、、”


          そんな理由なのかな?     違うかな?
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ピンボール、コイン落とし、クレーンゲーム、、、
ドンキーコング、スパルタンX、ハイパーオリンピック、、、

もちろんそのようなものは昭和の年号と一緒に消えて無くなり、もうここでは
完全に浦島太郎状態、、

でもまあせっかくなんでパチンコでもやりますか、、



 ん〜〜っ、、、  やはり競輪のように払い戻しがないと思うとつまらん、、、、、
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では五香方面でも行きますか、、


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この桜並木、松戸では結構有名道路で、季節ともなるとピンク色の
トンネルの下、イカだのタコだの露天がズラリと並ぶ賑やかなお祭りが
毎年開催され、小学生の頃は300円位ポケットに入れ自転車飛ばしたもんです。

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あれ〜〜っ!!!  この店まだあった!!  こりゃ懐かしいわ!!


これ実際に口から出た言葉でした、、


思い返せば、かつて底辺高校1年の頃、一つ上の先輩で通称 ”マサ斉藤” 
というワルがいたんです、名前からして悪そうな奴でしょう、、
ところがこれ実際ほんとワルで、非行を実体化させたような真実の不良
だったんです、、、
私とは性格こそ違えど、二人なにかとウマが合い、ウマといえば
高1の頃はよく競馬やパチンコ行ったり、コンビでイカサマ麻雀打ったりとか、
ロクなことしない高校生コンビでした、、 けれど私にとって
”貴征貴征、”といってはかわいがってくれ、色々な所へ連れて行ってくれる
兄貴みたいな存在でもあったんです、、、 
そしてこの写真の喫茶店はそのマサ斉藤と、その仲間達でよく来てた溜り場で
タバコの煙の中、インベーダーやポーカーゲーム機(もちろん換金出来ません)
等で皆ダラダラと長時間過ごす、さながら阿片窟のような喫茶店でした、、

とはいえ15才の私にとって、当時の喫茶店とはモノ凄い憧れの空間で
足を組み、コーヒーカップつまんでいるだけで社会から認められた大人に
なったよう、そんな気分にさせてくれる場所でもありました。
ファミレスなんて無かった昭和50時代前半、ナポリタンやポークジンジャー
のようなしゃれた横文字の食べ物など洋食屋か喫茶店でしか食べられず
貧乏床屋の倅で当然そんなもん食べた事どころか存在すらも知らなかった
年下の私をマサ斉藤はきっと不憫に思ってたんでしょう、
『ほれ、食え食え!』 と言っては色々ご馳走してくれたんです、、、
そんなもんだから初めてナポリタンを食べた時、あまりの美味さに
ビックリしてオシッコ漏らしそうでした、、、

そんな私に対し御馳走してくれていたお金の出どころが実は彼が毎日
登校前に早朝からやっていたバイトで稼いだお金だったと知ったのは
私が成人してからのことでした、、

話は戻って、そんな優しい一面も持ち合わせたマサ斉藤でしたが、
高2の冬、あまりのワルさにとうとう底辺高校をクビになっってしまったんです。
私は何とか難を逃れ首はつながりましたが、その退学と同時にコンビも解消、
だいたいこうなると中退者は鳶だの配管工だのお決まりコースなんですが
その後彼は定時制を経てなんと自衛隊へ入隊したんです、、
やっぱり変わった男でした、、、、、

そして、職業軍人となり松戸から消えたマサ斉藤との再会は25年後に
やってきました。 それは彼の父親の葬儀の場でした、、

その夜、しおらしく焼香の列に並んでいると正面横に背筋をピンと伸ばし
顎を引き、ひと目で軍人と分かるマサ斉藤がジッとこちらを向いてたんです、
それに気が付いた私がそちらへ視線を流すと、ばっちりと目が合い、
その瞬間二人ともお互い口元を緩め二ヤッと笑い、もうそれで互いの
25年間分のすべてが分かり挨拶終了、、
これは、いうなれば威厳溢れる雰囲気と顔に刻んだ苦労の皺とは
男の度量の物差しで、言い換えるならば、男の面構えと居ずまいは、
己の生きざまををキッチリ記した人生録みたいなもんでもあり、
寸秒見れば言葉は無くとも理解できるもんなんです、、

けれど、25年ぶりのマサ斉藤は三人の子の父親になったはいえ、
             やはり、、   悪人顔でした、、、、、、
             


とはいえそんなこと書いてはいますが、もしマサ斉藤があの頃と変わらない
鋼鉄の男のままでしたら、これは自衛隊としては至宝の人材といって
いいでしょう。
なぜなら、彼にとって退学のみが人生唯一の汚点であり、良くも悪くも
奸智に長けた策士であり、やり手でもあり時代は違えど下剋上の世に生まれ
ていたら間違いなく、ひとかどの大名位にはなってたであろう、諸葛孔明と
田中角栄を足したような、絶対敵に回したくない、、そんな器の人間なんです。

だから現在極東アジアでの領有権を巡って軍事衝突が懸念される中、中国や
北朝鮮のよう核兵器を持つ国に対してでも9条理念である専守防衛という
総警やセコムのような追い払うだけの行動しかとれない我が自衛隊ですが
核兵器級の男 ”マサ斉藤” という自衛官、、いや、軍神がいると思えば
人民解放軍や将軍様親衛隊といえども米軍無しで掃討、もしくは優位な条件
での和平を締結できそうな気がします。


つまらない回想ですが、、


          かつて松戸にはそんな男がいました、、、、、、



ここがその喫茶店、、  ドアを押す勇気は、、    ありませんでした、、、、
IMG_1795.JPG




そんなマサ斉藤との想い出を辿りながら喫茶店を横目でやり過ごしながら
歩いていると、うららかな春の暖かさのせいでしょうか、いきなりフラッとした
めまいを覚え、目の奥が渦巻いてるような気分になってきたんです、、

始めはいつもの立ちくらみと気にもかけませんでしたが、なんか違うぞ、、  
不思議なことに歩みが急に軽くなる微妙な違和感、  誰か押してる?
  んん、、、、いや違う、なんだぁ??  こりゃ変だぞ、、足が軽いぞ、、?
なんというか脚の跳躍力というか、歩みの推進力というか、簡単に前へ
進む、、、?
それはあたかも高校生時分のしなやかな躍動が今に甦った感覚でした、、
そんなもんだから混濁し始めた意識の中、、いい歳こいて、

ははん、、 まさか高校時代にタイムスリップしたわけじゃないだろなぁ、、??

非現実すぎる微かな期待は、グルグルと吸い込まれるようなめまいに
押し流され、軽いはずの足が、、、    おっとっと、、  もつれた、、、、、、  
すると、、、   
           あれっ? 俺こんなとこで何してんだ、、

まるで白昼夢の幻想世界にでも迷い込んだような夢うつつな気分になり、
思い出したように顔を上げ正面を見据えてみると、どう見ても記憶に
刷り込まれているあの頃と全く変わらない桜並木風景、、、
すると、今度はもうろうとなった意識の中、おかしな妄想にかられます、、
”あれ、、ひょっとして、これほんとに戻っちゃったかな??  
もうこうなると、またまたいい歳こいて願望ファンタジーモード突入、、、
    って事は、今まで過ぎた事って、なんだったの、、、、? 
床屋になったのも、おやじが死んだのも、東北で大地震があった事も、??  
それとも実は今は昭和55年の春休みで、おとといの夕方からずっと眠り続け、
長い長い30年分の夢見てて、その夢からたった今目覚めたのかなぁ、、、、
           ふ〜〜ん、、、、   だったらいいな、、、 

まるでフワフワ雲の上にいるようなトランス状態でそんな幻覚にかられること
1分、、、  いやいや、そんなわけ無いと右手親指の内側を触ると、
長年の鋏の開閉によりいびつに変形した我が骨の形、、  
はい、通常モードへ降格、、、
     そんなことしなきゃもうちょっと幸せ気分味わえたのに、


『だよなぁ、、、、  なに馬鹿な事考えてんだよ、、、』  小声でポツリ、、
すぐさま正気に戻り、覚醒しきった頭で今の状態をよくよく考えてみると、、
すぐさま弾き出た答えは、、


       おいおいこりゃあ、ボケのはしりだな、、、、、、、






そうつぶやき顔を上げると五香駅、








IMG_1797.JPG





じゃあ、実家方面でもいってみますか、、

IMG_1798.JPG



もう10キロは歩いたでしょう、、、   
地井武男は番組見る限りでは、いいとこ毎回2キロぐらいだったんで、
ちょっと張り切っちゃったかな、、
でも傍から見ればフラフラ徘徊しているようでしょうね、、

五香を過ぎ六高台へ入ってきました。
ここまでくれば35年ぶり、あそこへ行ってみましょう、、、
IMG_1799.JPG



何かに吸い寄せられるように向かったかつての学び舎(旧、六実中学、
現、六実第三小学校)

見上げればたしか正面2階は職員室だったよな、、、、
右の3階が理科室で4階が音楽室、 35年経っても結構覚えている
もんです。

あ、そうだ、今思い出した! そういうばここの音楽室っていえば、凄んごい
恥ずかしい事あったわ、、
思い出したとたん鼻息で笑っちゃうような出来事だったんですが、もう
38年も前の事ですし、、それにもう羞恥心も感じない歳だし、
そうとう恰好悪いですが、この際ブログネタにしちゃいましょうか、、
書くのもはばかる程恥ずかし話です、、


それは中一の合唱祭の練習であった一件で、この写真右側4階の
音楽室での出来事なんです。

その日、お昼の弁当食べ終えた午後、私達のクラスはその音楽室でとっても
退屈な合唱祭の練習をしてたんです、(課題曲がダークダックスの銀色の道でした)
ソプラノだのテノールだのアルトだの、それぞれ分かれ一段高いステージに
クラス40人位、肩が触れるほど四方に並びダラダラやってたんです。
だいたい予想はつくとお思いですが、そうです、、腹の調子が悪かったんです、、
直立の姿勢になれななるほど屁が下に押し出されるような、とってもイヤな
腹具合でした。けれど前屈みになっていると、万が一出てしまったら、これもう
言い訳できません、、今になって考えればトイレ行きゃぁよかったんですが、
今も昔も中学男子は大の個室に入っていると、なにかとイヤガラセを
されるもんです、、   
かくいう私もバケツを投げ入れたり、デッキブラシの柄で下の隙間から
オラオラやったり、     その反対に、一本糞がお尻にぶらさがっている最中、
ホースで頭上から水責めにされた事もありました、、
だからこそその日はなんとか放課後、”家までダッシュ” で逃げ切りたかった
んです、、、  

しかし、、残酷にもその時はやってきました、、音も無く、本当に音もせず、
シュ〜〜ッ、と、、      それは、経験したこともないような少年屁で、
熱を帯びてるとでも言おうか、、、つまり、肛門を通過するさい熱を感じる、、
さながら熱風のようでした、、、、    下品な表現で大変すいません、、  
 まぁそんな事より、、

     ”や、やっちまったぁ、、、、、、” 


一瞬にして私の鼻をうかがう、ゆで卵の臭い、、 
心幼き当時の私でもこりゃあ内臓が飛び出したんじゃないかと思うほど
濃度満点、飽和MAXのスカシっぷりでした、、 
すぐさま漂い始めた異臭に気付いた左斜め後ろ、ソプラノ担当の女子が
『キャ〜〜ッ!!!』と、金切り声を上げたのを皮切りに、両脇からも 
     『うわぁ!くっ、臭っさぁ〜〜ぁぁあああああ!!』
これは、今しがた習った輪唱の実践でしょうか、順を追って次々に広がって
ゆく叫び声、、、、、
なにせ合唱の立ち位置なもんだから接近しまくり、言うまでもなく私中央、、
一瞬にして合唱祭の練習は悲鳴入り混じる修羅場と化しパニック状態に、、、 
走り出す者、肘の内側を鼻に当てる奴、涙目になる女子、、
そんな中、私の頭の中では、こりゃあ如何にしてこの場を切り抜けるか、、 
もうそれしかありませんでした、、
しかし今でこそ反省してますが当時の私は悪かった、、、、
すぐさま後ろを向き、野球部のチビですばしっこいセンター、、 あだ名は
もちろん ”モンキー”  『おい、モンキー! てめえやりやがったな!!!』
あ〜あ、自分でやらかしといてモンキーのせいにしちゃうなんて、
なんという非道っぷり、、、

蜘蛛の子を散らしたように四散するそんな中、クラス男子の中で密かに
隠れファンの多かった可愛い系女子のA川が、あたかも牛の鼻輪のように
二本指で鼻をつまみ、真っ赤な般若顔しながら逃げていくさまは まるで
牛追いの少年に追われてる放牧牛のようで印象的でした、、、
そうとう臭かったんでしょう、、 ゴメン、、

誰だ?誰だ?やったのは?、あちこちから声が上がります、、
腹ん中じゃ (そりゃ俺だ、、)
もちろん白々しく私も、『こらぁ、、誰だぁ!屁ぇこいた奴は!!』叫ぶも、、
腹の中じゃ (そりゃ俺だ、、)


やがてピアノで伴奏していた先生が、職務上あたりまえですが、
    『こらぁ!! 静かにしなさぁ〜い!! 』
ピアノに備え付けの椅子から立ち上がりツカツカと近寄るも、、 先生一言、
      『うっ!、、、、、、、、、あらやだ、、、臭いわ、、、』

と、まあこんな、、、  要は早い話、卵屁一発で合唱祭の練習を大混乱に
陥れた、、たったそれだけの話なんですが、率直に言いますと実は今でも
心の棘となって、時たま痛んでいたんですよ、、特に迷惑かけた二人には、、
でも実はその後もその二人とは付き合いがあったんです。

モンキーは私と同じ底辺高校へ進み、卒業してからも常盤平のBSでたむろす
地元仲間でした。  合唱祭の一件は後々、平に平に謝りました、、
彼は今はトラック運転手として真面目に働いてます、、

A川とは高校を卒業した年にお互いの仲間を通し再会し、単なる友達として
よく二人で遊びに行ったり飲みに行ったりしました。
残念ながら、それ以上の縁はありませんでした、、
そんな彼女に思い切って件の話を一回だけ問いかけたことがありました、、、
ある夜、二人で飲みに行った時、カウンターでグラス傾けながら恐る恐る、

『おい、おまえ中一ん時の合唱祭練習の異臭騒ぎ覚えてるか?』

忘れてたらラッキー、 ”え?そんなことあったっけ??”  あたりの返事
を期待したんですが、、

『うん、憶えてるよ、すっごい臭かったアレでしょ、、、すっごい憶えてる、、』

”ありゃ〜っ、、、   憶えてるじゃん、、”
いいかげんそなこと忘れてろよ、、知らないって言えば、
『そういえばさぁ、、』 って始まり、『実はよぅ、、、』で、カミングアウトに
もっていき、順を追って素直に謝ろう思ったのに、、 全く、この女わぁ!!  
そうも思ったとたん、口からでた言葉は、、、

『あれ本当はおまえがやったんだろ! 正直言ってみ、たとえそうだとしても
大丈夫だよ俺、黙ってるから、な、そうだろぉ、、正直に吐け〜〜っ!!、』

あれから10年経って今度はモンキーからA川に罪を着せようと、
まだまだ健在な非道っぷり、、     すると、、、

『何言ってんのよ、、 あたし知ってるんだから、あの時一番オドオドしてたの
松本君だったっての、、 そうでしょ!! ねぇ、今なら許してあげるよ、 
そうでしょ!  正直に吐きなさいよ!!』
           ギクッ、、、
『まあまあ、そんな興奮しないで、、、 いいじゃないかよ、同じ匂いを体験した
仲間っつうことで、、、な、、  それよかほれ、飲め飲め!!  
     あっ、すいませ〜〜ん!!   お兄さん、ライムもう一杯!』


無茶苦茶な理屈でその場をなんとか収めるも内心、『くっ、こいつ、さては
知ってたのか、、、、  ってことは、あの時、あの般若のようなしかめっ面で、
すべてを見抜いていたとは、、、、、』

結局は言えずじまいでしたが、A川のことだからきっとこのブログを
見ているでしょう、、
                  ゴメンな、、



そんな恥ずかしくって、どっかに頭突っ込みたいような話ですが、
ここでこう書けて、なんだか胸の棘が取れたよう、そんな気がします、、
IMG_1800.JPG




ニヤケながらフラフラ進めば六高台の桜並木道、天気がいいと、お祭り時は
距離1,5キロの道路にに20万人もの人でごった返す名所です、、

最上級の花見場所である左のマンションは旧郵政公社の社宅、、
こんな立派な箱物をあてがってもらえた郵便局時代の職員さんは羨ましい、、、
IMG_1801.JPG








           あ、今日(3月30日)お祭りだ、、
IMG_1802.JPG



そこから歩いて、5分で私の実家、、 10年前まで床屋だったんです、、
親父が癌に伏したと同時に廃業しました、、

私がこの道に進んだ時、親父はこの店を跡を継いでくれるかもしれないという
微かな期待があったはずです、、、
しかし意に反し、この家に背を向け龍ケ崎に行ってしまった親不孝息子を
どんな思いで見送ったんだろう、、


          あと11年で私がその歳となります、、
IMG_1803.JPG




最終目的地の東武野田線六実駅、、

くっだらない個人的な話ばっかりを交えての散歩でしたが、暇でしたら地図を
見て下さい、松戸から六実まで、どんだけホッホと歩いたかが解るはずです、、
IMG_1804.JPG


この後、電車に乗り柏で下車、ゆっくり銭湯に浸かり大汗流して、
ゴシゴシ洗い、サッパリしたとこで居酒屋で一人酒、、


揚げたての厚揚げを夢中で食べてた最中、ありゃ、写真撮るの忘れた、、、、
食べかけでちょっと汚い一枚ですがご勘弁を、、、
IMG_1805.JPG



そうしてなんとか ”ちい散歩もどき” を終了したんですが、冒頭では
庶民の雑感だの、主体者側の目線だの書いてましたが、
よくよく終わってみれば全く主旨とかけ離れた単なる思いで巡りじゃないの、、、
恥ずかしい話や下品な話題、余計なことまで書いて、これますますの
底辺っぷりをさらけ出してしまいましたが、元々こんな過去を背負ってた
小者なんです、、
意味合いズレや読み苦しい箇所に関しましては大目に見てやって下さい、、、



そうとはいっても今回はずいぶんと郷愁を感じる散歩でした。

20年ぶりの故郷とは、あれこれ色んな場面が呼び覚まされるもんです、、
まあ楽しかった思い出巡りでした、、  
けれどもうこんな思い出を振り返るための散歩は二度とするつもりは
ありません、、
なぜならば、そもそも思い出とは霞むような印象で十分であり、鮮明な
リアル感なんて必要ないと感じたんです、、 
それはひょっとしたら私の場合、辛かった場面の方が多かったとの
個人的な理由からかもしれませんが、、 
これからはもう、心中深くしまい込んでおきたいんです、、

そして最後に、
秋谷のマスター、、 修行した店のおばあちゃん、、死んだ親父、、


今こうして振り返るに、先の見えなかった混沌とした若い頃には
気づかなかった事なんですが、当時なんの気なしに聞き流していた彼らの言葉を
今思い返してみると、私に対して発してくれた一言一言はどんな名高い指南書よりも、その時より始まるであろう長い長い道のりへの明確な
人生の羅針盤として、確かな道しるべとなり、今の私へと導いてくれたような、、
そんな気がします、、



       松戸は私を育ててくれた有難い街です、、、



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